ここ数年のご時世から
親御さんを亡くされた方も
たくさんいらっしゃると思います。
その時に「残された物・家」をどうするか?
皆さん悩まれます。
たとえ、後悔なくお世話できたとしても、
後片付けは涙とため息の時間に変わり、
心がシクシクしてしまいます。
私はそういう(※)仕事なので、
(亡くなった方と携帯画面で話をする)
この問題の大枠をお話しようと思います。
まず、ご両親がなぜ
自分が生前使っていた物を
そのままにして旅立つのか?
答は、亡くなるその瞬間まで
それらの多くのグッズは
その方の「愛する大親友・家族」のような
立ち場だったからです。
自分と生涯を共にする、
信頼のおける人ならぬ物たち。
古びたお茶碗、ゴムの伸びたパジャマ、
ポケットのほつれそうなエプロン、
電話機の横にあるメモ用紙の束、
かかとのすり減ったスリッパ、
大切にしていた陶器の置物、
キジのはく製、木彫りのクマ、
虫食いのあるセーター。
だいじ、だいじ、とってもだいじ。
書いているとね、愛情がね、涙とともに
出てきそう。
グッときてしまいます。
なんと、なんと、尊い品物たちでしょう。
彼らはすごく故人に大切にされてきたんです。
ですから、亡くなる日まで、当日まで
使っていなくてもだいじなものでした。
さて、ある日から、主(あるじ)が変わりますね。
亡くなった人から生きている人にバトンタッチ。
管理・監督者・コーチが変わります。
ここで、私が故人とお話することになりますが、
天空の故人はほとんど同じことを仰ります。
それは、ズバリ、
「好きにしていい」 です。
「要るものだけ取っておいて、後は捨てて良い」
「あまりお金をかけてなくていい」
これ、本当なんです。
どれほど本人が大事にしていたものでも
本人が誰よりもいちばんわかっています。
「それ、私のだった」「それ、俺のだった」
「だから、今は、誰も使わねえなあ♪」
「そうよそうよ。捨てていいのよ♪」
「大丈夫よ~♪!笑顔)」
「誰かにあげるなり、売るなりしていいのよ~」
というように
執着がなくなります。
肉体が無くなると同時に
故人にとって物への「感情」「思い」などが
消えていきます。
物へのこだわりや執着、必要性などの
強い意識は、生命を維持するために
持っていたものですから、
肉体から離れて意識体に変容した故人は
それらの品物への思いは「もう、不要だなあ♪」と
理解されていきます。
ここで魂のアップデートが起きていますので、
「なんでそれ捨てちゃうんだよ!」とか
おっしゃる故人はいらっしゃらず、
「片付けてなくてすまないね」
「後片付け、ありがとうね」
と感謝の気持ちをおっしゃる方がほとんどです。
また、子どもたちが物を捨てる時に、
故人が一緒に「ヨイショ!」と
天空に連れていってくれるのだなと
思える素敵な通訳もありました。
確かに、捨てたりすると
目では見えなくなるけれど
お気に入りのグッズは
意識体やエネルギー体という物体に変換させ
天空に持ち上げてくれるのが
神様界のシステムでもある。
だから、現実界で消えても平気。
そのような天空の理屈があるのです。
多くの故人と話をしましたが
残された物や家に関しては
「好きにしろ」がほぼ皆様の答ですが、
どうしても「残したほうがいいよ♪」という
先見の明みたいな伝承もありました。
それは、庭の守り神になる樹木や井戸。
人と大地の生命の脈になるもの、ですね。
誰かに売る土地だとしても
「どうぞそのまま使ってくださいね」という
愛のバトン的な存在になります。
あとは、お金に変えられるものなどは
ぽいぽい捨てないほうがいい。
「売るといいぞ~」みたいな
お父さんからのホクホクメッセージもありました。
逆に、どれほど高級な着物でも、
買い取ってもらおうとすると1000円とか
とんでもない金額ですから、
どたなかにゆずるなどもありです。
ゆずる時間もアテも無いお忙しい方は
捨ててしまっても、亡き母は怒りません。
「そうよね、あなたは着れないわよね。
丈があわないわ」などと
お母様のほうが背が低かったことを
私に教えてくれたりします。
生きている皆様が主(あるじ)です。
ご家族の残された物たちと
お友達になるか、ならないかは
「好きに選んで」いただいて、
「好き」に囲まれて生きてくださいね。
すると故人へホクホクエネルギーが伝わり
彼らも天空でむっちゃ幸せを感じますので。
ありがとうございました!