今日は母の日
ちょっぴりさみしいので母への思い出語りです。
お母さんが喜びそうなことは?
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私が元気に毎日を楽しんでることかな?
むか~しw
学生のころは遊びに出かけて
そのまま家に帰らないこともあって
『鉄砲玉』と言われてた
「連絡ぐらいしなさい」
って怒られたこともあったかな?
いつからだったかな?
いつ頃だったかな?
遊びに行くのがめんどくさくなって
誘われても行かないことも多くなったら
遊びに行かないことを心配されるようになった
たまに出かけて早く帰ると
楽しくなかったのかな?と心配され
夜遅くに帰ったりすると
「楽しくてよかった~」
って言われるようになった
年齢と共に?遊びも遊び方も変わってきて、大勢で遊ぶよりも気のあった人達と少人数で遊ぶ方が楽になってきたのよね。
ただそれだけのことなのに
なんか心配してんたんだよね
父が亡くなったときは
私は社会人になりたてで,まだ大人になりきれてなくて,全部を母にまかせっきりで,一人で大変なこともたくさんあったよね
人に会うことも嫌になって3年くらい習い事もお休みして家に居ることが多くなってた。
習い事に復帰して外に出かけることも増えて,元気になってイキイキしてる母の姿が好きだった。
母が病気になるなんて思ってもいなかった。母はずっと元気でいるものと思ってた。
母が癌になって
入院したり手術したりを繰り返して,入院してるときは毎日病院に会いに行って,仕事のない日は早めに行って一日中病院で過ごした。
夜ご飯は病院で一緒に食べた。
手術後,抗がん剤の副作用でいろいろあっても,二人でいると楽しくて「こんなときでも笑えるんだね」って言ってた。
エピソード1今でも思い出して笑う
病室でのこと,綿棒の入ってるプラスチックの円い筒の蓋を開けようとしたら、ポンッて大きな音で蓋が飛んで大笑い!したいけど,手術後で傷が痛むから
「痛い,痛いからやめて!笑うな,笑うな」
って,クククククッてお腹押さえながら笑ったよね~。
ポンッだって!ポンッだって!
って,ツボにハマって大変だったよね~。
ホント笑い泣きだった。
お医者さんや看護師さんやお友達に
「わたしは子不幸な親なのよ~」って笑いながら話してたよね。
自分がいうのもなんだけど,私って自慢の娘?
「きちんとしなさい!すかっとしなさい!」
って言われることも多かったけど
この頃はちょっとは頼りにしてくれてたんだと思う。
結婚に興味も関心もなくて,自由すぎるところはちょっぴり心配だったと思うけど
「〇〇(=娘=私)が結婚してなくてよかった。子どもがいなくてよかった。と思うって〇〇ちゃん(=叔母)に言ってしまった。きっとなんて親だと思ったよね」
って言ったことがあった。
家庭もあって小さい子どももいたら,家庭,仕事,病院通いの付き添いで大変だろうって私の性格を思ってのことだよね。
多少は私に甘えてたところもあったかな?
私も母もお互いにべったりだったからね。
親離れしない子と子離れできない親
人からしたら変だと思うかも知れないけど
それでも幸せだったの。
それが嬉しかったの。
生きてさえいてくれればそれでいいと思ってた。
でもね,人にやってもらうより,やってあげたい人だったから,いろいろもどかしかったんだろうな。
こだわり強くて,ワガママだったから,けっこう大変だったのよ
「お母さんが死んだら〇〇が一人ぼっちになってしまう」って心配してたね。
ぼっち上等!って私は言ってたけど
でもね,あの頃も相方いたし,お母さんも会ってたよね。
一緒にご飯食べたり,病院に連れてってもらったり実家まで送ってもらったりしてたのに
結婚するの?とも結婚したら?とも言わなかったね
今もそれなりに仲良くやってるよ
二人とも病気したけどね,今は元気だよ。
そうそう,二人とも手術も抗がん剤の経験もしたから,今ならわかってあげられることもたくさんあるよ。
治療法や薬も変わったけどね。
まぁ,これからも元気に,文句言い合いながらも仲良くやってくよ
私は大丈夫です
母の日のお花は〇〇ちゃん(叔母)に贈ったよ
喜んでくれてた
ざっくりと思い出語りが長くなっちゃった。
お母さんへ
私より