近年、居候という言葉を、あまり聞かなくなった。
もう家族にそれだけのゆとりがなくなったのだろう。
親父は幼少期に親を亡くして、両親の顔をよく覚えていない。
すぐ本家に引き取られて、伯父夫婦の元で育っている。
伯父夫婦にも二男二女がいて、いわば幼い居候である。
子供ながらにも、食い扶持を意識したのかもしれない。
その成育史が親父に陰を落とした。
たぶん幼少期に、その反抗の芽を摘み取られてしまったのだろう。何をやっても、頼りなげで弱々しく見えた。
兵隊検査にも落ちている。
従兄たちが出兵し、男手の出払った田で、
ただ、親父が黙々と働いている。
何かに取り憑かれたように、また食い扶持でも返すかのように、
ただ、黙々と働いている。
やがて戦争が終わり、戦場から従兄も帰ってきて、
親父は伯父から改めて分家してもらい、
一戸を構えて、嫁取りをする。
伯父夫婦もその辺は義理堅かったようである。
でもそれは親父の離農を意味した。
その辺は親父は心得ていたようで、また手先も器用で、
地場産業の釣り針製造職人として喰っていくだけの技術を習得し、農閑期には農業外収入と青写真は出来上がっていたようである。
そして親父は隣近所から嫁取りをして、結婚。
ところが中々子供が出来ない。
そこですぐ動いたと思われるのが本家の伯母。
そして養子としてもらわれて、この家に入ったのが自分。
自分は本家の伯父伯母夫婦の長女の嫁ぎ先の五男。
つまり伯父伯母夫婦の孫。
親父はこの時、どんな気持ちでこの養子を迎え入れたのか、
何も語っていないし、何の記録も残していない。
もしかして、迷惑だったかもしれない。(笑)
だけど幼児だった自分だって、何の責任もない。
養父母を実親と信じて何の疑いもなく成人しているのだから。(笑)