俺の地元宮崎県都城市山田町に帰って来て3日がたちました。
名古屋を出る時、とてつもない、恐怖感と寂しさが自分自身を走りました。慣れ住んだ205号室を出て、名古屋の街を眺めなが、一つ一つの思い出、数々のドラマがこみ上げて来る…振り返る勇気すらなかった。この街に俺自身、人としてや、刺激、初体験、お金の使い方、酒の飲み方…他にも沢山教えてもらいました。
厳しい環境の中でも、こんな俺を求めてくれるHOME GROUNDを見つけた。
この景色を自ら離れることを悔いました。
『楽しかった。幸せだった。』
この一言で十分だ。
毎日がサバイバルで食うか食われるかの、修業時代から一転、まるでオアシスのようなそんな居場所を名古屋で見つけた。
仕事も遊びも本当に充実した毎日でした。
今の実家は電波も圏外で、自然の音しかない、まるで時が止まってるようにも思える…
全国に自ら足を運んで南に下っていったが、ここまで地元が元気がないなんて…
福岡から宮崎に下れば下るほど、回りにビルもなくなり、街灯の光も少なくなり、道も細くなっていく…
この恐怖感は初めての感覚で、誰よりも地元宮崎を愛した自分が恥ずかしくなるぐらい。
『名古屋の方が楽しいよ』
『することない』
『仕事ないよ』
『遊ぶ場所なんてないよ』
『まだいてよ…』
確かにだなって思った。
地元についた時は、夜中3時過ぎ、寝れずに、都城市へ。
車を走らせると、新聞配達してるバイクしか走ってなかった。
自分の夢である『宮崎の活性化』
叶うなんてないな。なんて何度も思いました。なんもやる気が起きなくなった。
思い出の地の川で釣りに行きました。川の流れを見ながら、時間も携帯も何も気にせず…
凄く魅力的な街なのに…
でも、誰かが、俺たち世代が、この生まれた街を残さなければならない訳で、田舎には田舎の良いところは沢山あるし、都会にはないものも沢山ある。
もし、神様がいて、俺をココに生まれて、育ったのか。
なぜだろ?
いろんな所に行ってみたけど、俺はこの街が純粋に好きなんです。だだそれだけです。
名古屋の生活は何度も言いますが、毎日が新鮮で競争社会で、弱肉強食みたい。宮崎とくらべればね。だから、やらなきゃ食われるし、生活できない、見えない強制がある。一人暮らしほど。
宮崎を大都会にしたいとは思いません。けど、この街は、色んな可能性とチャンスが山ほどあると思う。まだまだ、伸びしろがあると思う。
この先、どうなるか分からないですが、この街の為に、俺は一生死ぬまで頑張りたいと思う。結果、何も変わらないかもしれない、意味のないことかもしれない、この文をよんで宮崎で?無理だよ。って思う人ばかりだと思う。
俺の今映るビジョンが一つでも叶えばいい。すべてとは言わない。死ぬ時、目をつぶる時にただ思いたいだけである。
『宮崎にために少しでも活性化できた』と
ただそれだけ。
おれは、ここに何らかの意味があって生まれて来たはず。落ち込んで行く生まれた街をみるのは俺は嫌だ。
宮崎市民に、俺しかできない、食を通して『特別の時間』を提供したい。
死ぬまでおれはこの街で戦いたい。
名古屋はホント楽しかった。出会えた人も、大切な人も、俺を取り巻く人たちは、魅力的で本当にいい人ばかりでした。
電話やメールがくると、もの凄く嬉しいです。
あの人やあいつの笑い声や笑い顔…フラシュッバックのように思い出せます。
次は、生まれた宮崎でそれをしたい。
10年、20年、30年…何年かかっても、諦めない。宮崎から、世界に俺は行ってやる。絶対行ってやる。絶対一人でも多く宮崎の良さを届かしてやる。
そして、今日この日から、新しいステージです。頑張ります。
そして、最後に、俺という人間を知ってる人へ。
一人では何もできません。力をまた借りることになると思います。そのときは、宜しくお願いします。
ここからホントの勝負が始まります。
皆さんも体には気をつけて。
10FIVE-E
