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今日は「阪神淡路大震災」が起こった日です

 

あれから30年も経ちました

 

あの日のこと、鮮明に覚えています

 

3連休明けの火曜日でした

 

僕はまだ吹田市の実家に居たのですが

 

地震で目が覚めました

 

午前5時46分

 

突然の揺れから始まりました

 

吹田市は震源地からは約90キロぐらい?

 

でもガッツリ揺れました

 

テレビを点けると、、、

 

神戸が燃えている!?

 

(これって映画?)

 

それぐらいリアリティがありませんでした

 

まるで映画のワンシーンのよう

 

建物、高速道路が倒れている。。。

 

(うそやん???うそやろ?)

 

テレビの報道番組を見ながら思いました

 

地震が起こったことをしばらくして受け入れ

 

姫☆に電話

 

その当時は携帯の普及もまだまだ

 

家に電話するとお母さんが出て、

 

「あんた、大丈夫なん?ちょっと待ってな、代わるわ、、、」

 

って姫☆に代わってくれました

 

お互い大丈夫を確認して次は会社へ

 

もちろん誰も電話に出ない。。。

 

その当時のありとあらゆる手段で連絡を取り

 

次の日出勤

 

出勤したらまずは安否の確認

 

神戸方面に住んでいる社員で連絡が取れない人

 

多数おられました

 

早速チームを組んでご自宅へ向かうことに

 

僕も今の会社に入社して1年も経ってない若手

 

「ryusei、下ちゃんとこ行ってくれるか?御影でちょっと遠いけど

 

頼むわ、ヨシトと藪ちゃんと3人で。。。」

 

ってなわけで、ヨシト先輩、同僚の藪ちゃんとリュックを背負って

 

向かいました

 

電車は甲子園までしか動いておらず、そこから歩き

 

国道43号線をひたすら西へ。。。

 

すさまじい光景が目の前に

 

まるで戦場、家は倒壊、ビルは傾き、大惨事を目の前に見ました

 

自動販売機を壊して中の飲み物を取っているひと

 

商店らしき建物に入って食べ物を物色しているひと、

 

そんな光景が当たり前のように

 

この中で「生きる」ってことは手段を選ばないってことか?

 

色んなことを考えさせられました

 

 

あれから30年です

 

甲子園の虎友のまゆちゃん、

 

来月で30歳

 

ってことは、生まれる1ヶ月前にお母さんのお腹にいる時に

 

起こった地震

 

彼女は震源地、淡路島の出身です

 

同じくさよ介は18歳

 

もっちは6歳

 

チョコ爺は42歳

 

それぞれの30年が経ちました

 

今の知り合い友はそれを乗り越えました

 

生きて出会えてありがとう

 

これからもこの日を語り続けていきましょう

 

それが先に逝ったひとへの供養かと思います

 

なのでこれからこのような天災があれど

 

乗り切ります

 

貴方たちの力が後押しに、背中を押される思いで

 

前に進みます

 

備えあれば患いなし、

 

ってことで簡易トイレを購入し、

 

寝袋を引っ張り出し、

 

震災に備えます

 

 

まだまだ揃えないといけないモノがありますが、

 

少しづつ揃えたいと思います

 

そんな1995年の曲です

 

もちろん関西の「シャ乱Q」です

 

 

 

空を見なよ♪

 

顔を上げようぜ!

 

下を向くなよ!

 

空を、上を向こうぜ!

 

そんな応援ソングです

 

 

この日を忘れない

 

これからも語り続ける関西人でありたいと思います

 

合掌

 

 

ryusei