ryu's bar now open してます
その人との出会いは今から10年以上も前でした
会社の取締役にこそっと呼ばれて、
「ryusei、次月から名古屋営業所の深水(仮名)っていう奴が
大阪に来る、うちの部署や、よろしく頼むわ、、、」
『あ、はい、、、で、その方には何を???』
「フム、、、それが問題でな、今の現状でサポートしてもらう部分、
何かあるか?」
『えっ?そんなこと言われてもその人のスキルもわからないし、
でも、営業してたんでしょ?モノづくりできますか???』
そう言うと取締役が
「俺の姿勢はな、来るもの拒まずや、わかるやろお前やったら?」
と、
それに対して、
『はぁ、、、』
と気のない返事
「頼むわryusei、何とかしてくれ、
あ、それとな、、、
ここだけの話やけどな、
決してこちらから求めたわけやないからな、
そこまで言ったらわかるやろ、、、
あ、それからもうひとつ、お前より5歳上や、翔平と同期や」
『ええっ!?年上ですか???
しかも翔平さんと同期???』
「よろしくな、、、」
(まじかよ、、、それでなくとも大変な部署やのにぃ)
そしてしばらくして彼が赴任してきました
元々営業しかやったことがないので
モノづくりに関しては素人
手取り足取り周りは教えるがいたってマイペース
営業の時は自分の営業成績を上げることだけで
過ごしてきたかもしれませんが、
モノづくりの現場ってそうはいかない
いわゆるチームプレイ
誰かが困っている時は手を差し伸べ助けあう
そして一つのゴールに向かって進んでいく
営業職みたいに数字の評価は難しい部署ですが
モノが完成し商品になった時
店頭に並ぶそれらを見て
それを買っていただくお客様に感謝し
街でその商品を持っている姿に感動する
それこそがモノづくりの醍醐味
それを彼に仕事を通じて理解してもらうには
時間を要しました
深水さんはある面個性的なキャラクターで
何かと話題に上がる人でした
名古屋出身、高校までは名古屋で過ごし、大学は神戸
そのまま会社へ就職したものの名古屋勤務を希望
約30年ほど名古屋で営業をされてなぜか自己申告で
何年か前にモノづくりを希望
何を思ったかはわかりませんが
会社としては営業としてお払い箱っていう感じでした
趣味は軟式テニス(なぜに硬式ではないのか?)、旅行、
音楽などなど
特に旅行はおひとりで国内外色々な場所へ行かれていたようです
家族はご両親のみで未婚
名古屋時代に実家を出られマンションを購入
周りでは、マンションもある、車もある、お金もある、
あとはお嫁さんだけやな、
って言われてましたが大阪に赴任してもおひとりでした
深水さんとは僕が一年半前にグループ会社へ異動になるまで
一緒に仕事していました
異動の時、業務の引継ぎの半分ぐらいは彼に託しました
「引き続き頑張ってくださいね、、、」
その言葉を言って僕は新しい部署へ
そして深水さんは昨年60歳を迎えられ定年
イマドキの民間会社は65歳まで雇用義務があるので
本人が希望し会社の与えられた条件で合意すれば
雇用契約が成立します
彼は60歳を迎えても働くことを希望されました
彼とは一緒に仕事をする機会は無くなりましたが、
同じグループ会社で働いているので顔を合わせることはしばしば
そこには近況の会話や愚痴や文句もありました
今年になり彼も僕と同じ部署へ異動になり、
課は違いますが同じ職場で仕事をしていました
しかし、周りは彼に仕事を教えるが一向に覚えない
覚えないのか、
覚える気が無いのかわからない
「もうッ!深水さんポンコツすぎやわ!」
との声も耳にするようになりました
ある日、彼の部署の人たちが僕に
「深水さんってどんなひと?
ryuseiさん一緒にずっと仕事してましたよね、、、
何回言ってもスカタンするんですよ、
もういい加減にして欲しいわ!」と
初めは適当にあしらっていたのですが、
ここ2か月ほど
「ちょっとひどいなぁ、、、どうしたんやろ?」
って思うことがしばしば
そうすると妙な噂が、、、
深水さんって若年性アルツハイマーかも?と
よく考えるとその気配、症状はありました
業務を教えた次の日に
「そんなこと聞いてない」とか、
自分が書いた書類に
「僕は書いてない」とか、
言ってない、知らない、覚えてない、、、
それの連発でした
自分でもそのような周りの雰囲気を察したのか
退職することを決められました
そのことで鬱だったのかもしれません
今の職場に異動されずいぶんと痩せられてました
9月末で退社
有給消化のため、出社は7月中旬で終了が決まっていました
退社後は名古屋へ帰り新しい仕事を探し趣味の時間を
今よりたくさん費やす、、、とも言っておられました
コロナが明けたら旅行も再開するぞ!とも、、、
先週の火曜日、深水さんから仕事中に
「今日から中日はナゴヤドームでタイガースと3連戦なんですよ、
テレビ中継があるので楽しみです!
でも、タイガース首位だからなー、でもホームゲームなので
勝ちますよ!!!」
その言葉が彼との最後の会話でした
6月25日(金) 享年62歳 永眠
週明けの月曜日、いつも人より早く出社する深水さんが
9時過ぎになっても来ない
携帯に電話してもLINEしても応答なし
携帯は電源が切られているアナウンス
自宅に電話を引かれているので固定電話にするも出ない
部長が自宅のマンションまで行ったところ逝去されたと
死因はベランダからの転落死
遺書はなく事故であるとの見解
突然の訃報で職場は大ショック
色々な憶測が飛び交いました
本当に事故?
突発的に飛び降りたんじゃない?
そのような事を思われる晩年でした
色んな人から尋ねられました
やはり、彼が大阪へ赴任して一番長く仕事を共にしたのは
僕なので
ryuseiどう思う?
やっぱり事故?
それとも、、、
その事実は本人しかわからない
思い詰まって飛び降りたかもしれない、
聞くところによるとベランダでクーラーの室外機を外そうとしていた
との報告を聞きましたが、、、
ryuseiどう思う?
その問いに
「僕は事故だと信じます」と
なぜならその方が冥福を祈れるから
なぜならその方が自分自身が楽だから
事故で去る、
病気で去る、
自害で去る、
殺生で去る、
この世からひとが去る時はこの4つかと
いずれの去り方であっても惜しまれたい
惜しまれて去っていきたい
彼も逝った後に惜しまれていました
生きていると色んな死に出会います
その時にいつも思うことは、
必ず自分もこの時が来る
人間としてこの世に生を受けたならば必ず来る
避けれない事実がいつの日かやって来る
そして全ての自分が終る
持論ですが、終ると全て「無」になり元に戻る
それは、元々命は「無」から始まったと考えます
その「無」に息を吹き込み「有」になり
命を授かったことに感謝しなければいけません
感謝するということは毎日毎日悔いのない時間を過ごすこと
時にはぐうたらする時もあります
ダラダラする時もあります
ただ単にぐうたらしたりダラダラしたりするのではなく、
真剣にぐうたら、ダラダラ過ごせば悔いはありません
人間ってずっと突っ走ることはできません
人生のスピードはひとそれぞれ違います
どれだけ長く生きたか、ではなく
どれだけ深く生きたか、と思いたい
昨日、今日とかなりショックでした
ひとの死に出会うのは何度もありましたが、
なんとなく今回は違う感情が沸いてきました
今日のランチは宮姉と一緒
「ryusei、ショックやなぁ、、、でもな、今まで色んなひとの終わり
を見てきたやろ?ショックやけどお腹空くし、お酒も飲む、
眠たくもなるし、テレビも視るし時間が解決することもある
だからな、生きてる者がしょげてたらアカンねん、、、」
そんな事を言いながら
「ここのカレーうどん、美味しいな やっぱり大阪はうどんやな」と
彼女なりの励ましの仕方に泣きそうになりながら
一緒にカレーうどんをすすってました
「よし、久しぶりにバナナジュース飲みに行くで!」と
うどん屋さんを出てジュースBarへ
カウンターに二人で並んで座りバナナジュースを飲みながら
「ryusei、最後は好きな人が傍におってくれるのが
一番幸せやろな、ryuseiの奥さんみたいにな、、、」
昼間っから刺さりすぎる事を言った宮姉がまた空気を読んだのか、
「さ、昼からも仕事や!まだメール処理してへんのんあるからな、
でもな、さっきのオバはん、何をわがままゆーとんねん!
こっちもできることとできひんことがあるーちゅーねん!
ホンマ、大阪のオバはんはわがまま言う奴多いわ、
私も大阪のオバはんやけどな(笑)(笑)」
そんな宮姉の小さな背中が大きく見えた瞬間でした
あらためて深水さん、心よりご冥福をお祈りいたします
貴方の人生に対して尊敬を表します
ありがとうございました
ryusei☆
