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こんばんわ~

 

今日の大阪は暖かい一日でした

 

少し風が吹くものの寒さを感じるものではありませんでした

 

 

そんな今日も一昨日届いた家裁からの調停申立書のことを

 

考えることがしばしばありました

 

申立人と相手方という立場

 

原告と被告とまではいきませんが、

 

事件に対して申立人が存在し、それに対して相手方がいる

 

「調停」とは

 

対立する両者に入って両者の妥協点を見いだし、

 

争いがやむようにすること、、、

 

対立する、

 

両者、

 

争い、

 

何でこんな事になったんだろう?

 

しかも申立人は実父

 

相手方には自分を含め実姉と異父兄弟の3人の子供たち

 

 

申立人の弁護士が裁判所に提出した申立書に

 

「、当事者が複数いることや当事者間の感情を踏まえ、、、」

 

の一文が申し立ての理由の中に入っていました

 

感情を踏まえ、、、って

 

そんなに憎しんでいるのだろうか?

 

そんなに恨まれているのだろうか?

 

異父兄弟の子供たちには会ったこともないので

 

心当たりはありませんが、

 

実父や実姉からはそのような感情がどこかにあるのでしょうかね

 

 

彼らにとっては可愛くない子供であり、弟なんでしょうか?

 

楽しい日々も過去にはたくさんありました

 

昔、借家に住んでいた時にそこの大家さんがとっても良い人で、

 

年末になるとみんなでお餅つきしたり、

 

お正月の挨拶に行ってお年玉もらったり、

 

親戚のようなお付き合いがそこにありました

 

躾に厳しい父でしたが我が家も幸せの日が続いていました

 

父の仕事柄、借家に住んでいる職人は信用できない、

 

との一言で、自分の土地、家を建てることに奮起して

 

念願の叶った家を建てたのが今から40年ほど前

 

僕がちょうど中学2年生になる頃でした

 

その家を建てたときに自分も手伝いによく行きました

 

木造ですので家の柱を刻む時に父から教えてもらい

 

穴を全部開けたのは僕です

 

後で父に聞くと、一か所だけ間違いがあった、と

 

それはどうした?

 

って聞き返すと、ちゃんと埋めておいたと

 

 

引っ越しする前に何度か父と二人で泊まりに行ったのを

 

覚えています

 

真新しい畳の香りと、檜の優しい香りに包まれて一夜を過ごした

 

のを思い出します

 

引っ越し前なのでテレビもラジオも何もなく、

 

でも、その中で自らの手で建てた我が家の中で眠る父は

 

田舎から出てきてようやく自分の手で掴み取った土地と建物に

 

感無量だったことでしょう

 

働いていたのは父だけではなく、

 

働き者の母も時間をみつけてはパートに出てました

 

なので、小学校の頃から姉と共に家の鍵を持たされていました

 

 

念願の一軒家

 

一階にはダイニングキッチン、リビング代わりの6畳の和室、

 

その和室には掘りごたつができるように作ってました

 

それと和室が2つ、応接室が1つ

 

二階には姉の洋室にベランダ、6畳の和室が2つと

 

4人で住むには広すぎるぐらいの家でした

 

友達が来たら、わぁ、家めっちゃでかいな!トイレどこ?

 

などなど

 

自分も2階の和室の1部屋をもらい自分の部屋に

 

「何でねぇちゃんが洋室で俺が和室やねん!」って

 

抗議したことも

 

 

しかし、それから間もなく家族の間に徐々に溝が生まれて

 

きたのは幼心に覚えています

 

 

それが今となっては家族の中で憎悪が生まれ

 

家族間で話ができず、第三者に入ってもらわないと解決できず

 

になっているんでしょうか?

 

昔の家族愛ってどこにいったんだろう?

 

父にとっても母にとっても

 

最愛の家族だったのではなかったのでしょうか?

 

 

昔、ヤンチャな子供が大人になって結婚して子供ができて

 

とってもイイ家族になって親孝行するっていう話はよく聞きます

 

でも、今の自分の場合はその逆

 

何が、いつ、どこで、掛け違いが起こったのだろう、、、

 

あれだけ仲良かった家族なのに

 

熱愛という言葉もその中にあったと思いたい

 

それが徐々に憎悪にかわる

 

憎悪の度合いにもよりますが、

 

少なからず今の状態はイイ状態ではありません

 

もう元には戻らないでしょう

 

残された個人個人はそれぞれの生活があり、感情があり、

 

再び笑顔で卓を囲んで食事することもないでしょう

 

それも、これも全て現実であり、

 

受け入れて前に進んでいかねばいけない、

 

今の自分の立場からだと頑張って前に進むしかない

 

調停でどんなことを言われようが、

 

全て受け入れることにしよう

 

自分の主張も言えますが、

 

何を主張する?

 

母が残してくれた遺産がそんなに欲しい?

 

醜い争いはこれ以上自分の本意ではないかな

 

遺産って亡くなった人からのメッセージかと思います

 

色んな形の遺産がありますが、

 

どんな形にせよ、

 

貴方に託すから、とも思います

 

それを奪い合うことは、

 

故人に対して失礼かと

 

故人が望んでいないことかと

 

そんな話の流れになるならば、

 

その場から離れていこう、って思っています

 

 

家族になろうと父と母が誓い合ったその時から

 

予想しなかった結末に向かっていることは確かで

 

それを自分ひとりで修正することは無理かな

 

父も既に80歳後半に差し掛かっています

 

残りの人生を穏やかに過ごされることを祈るばかりです

 

 

じゃ、自分は?

 

家族を持ちたいという気持ちは捨てたくないかな

 

どんな形にせよ、

 

家族って無限のパワーがそこにあると思います

 

信じること、頼りにすること、助け合うこと、尊重し合うこと、

 

そして、みんなお互いを熱愛すること

 

 

人生の折り返しを既に過ぎてはいますが、

 

もう一回、

 

もう一度、

 

最後に、

 

自分の人生を振り切ってみたい

 

 

そんな気持ちを持たないと負けそう。。。

 

 

 

 

この世に生まれてきたのなら

 

誰かのために生きる

 

そして、

 

その人を幸せにしないと

 

自分の最後の時は

 

ボロボロになって、

 

くしゃくしゃになって、

 

振り切って終われたら自分も幸せかと

 

まだまだ力は残ってると信じて前に進んでいこう

 

 

遅い時間になりました

 

ちょっと吐いたので楽になりました

 

たまにはマスターもカウンターの中で吐くことあるんですよ(笑)

 

 

明日も日が昇り

 

一日が始まります

 

時間はこの世の人にとって平等に与えれれているもの

 

無駄にはしたくない

 

残りの人生、振り切って、振り切って、万振りして

 

ボロボロになって終わってもいいかな

 

 

最後までお付き合い、ありがとうございました

 

素敵☆な日曜日を

 

 

ryusei☆