追記。2022.2.1
10年経ったった。
( ・∇・)
たのしい10年らった。
( ・∇・)
・・2012.2.1の記事 再投稿です。・・
吉村 正先生の映画『玄ぴん』 ご覧になりましたか。 自分はまだですが。。
(日咲野さん、ありがとうございます! (^O^)/)
10年以上前、吉村先生の著書『お産って自然でなくっちゃね』を読んで、
長男の育児からも逃げ回ってた自分が、「二人目を生みたい。生むべい」
に変わりました。
今日は、この本のご紹介です。
以下、『お産って自然でなくっちゃね /吉村 正』 55~57頁より抜粋
(前文、略)「古屋労働」とは、薪割り、水汲み、雑巾がけなど、家事労働が現代のように機械化する前の、手仕事のことである。
なぜ私が、このような一見突飛なことを妊婦さんにすすめるかという理由をここで簡単にお話ししよう。
薪割り、水汲み、雑巾がけ。。。で内なる自然を呼び覚ます
お産に現在のように、薬や機械が使われるようになったのは、ここ30年くらい前からのことで、それ以前の人類の歴史のなかではなかったか、ごく稀なことであった。
昔は、お産婆さんや、地域のお産経験の豊富な婦人が、素手で取り上げるのが普通で、それでも大部分は安産だったのである。
その理由は、当時の人々の生活のしかたにあったと私は考えている。
よく歩き、腰を曲げたりのばしたり、重いものを運んだり、手足の関節を動かし、全身の筋肉を総動員して、まめに働くのが当時の暮らしであった。
食べ物もその風土に根付いた伝統的なものが主で、調理もごく簡単であった。
精神的にもいまのようにあくせくせず、ごくのんびり過ごしていた。
そうした暮らしのスタイルが医学の手を借りなくても、自然に安産できる体をつくってきたのである。
そう考えて私は、病院の庭に江戸時代の農家を移築し、1~3ヶ月ほど妊婦さんたちに、江戸時代の暮らしを体験してもらう試みをはじめた。
妊婦さんたちはそこで昔ながらの家事労働、手仕事をするうちに、体力もつき、手づくりの物の機能的な美しさに感動し、現代のあまりにも便利すぎる生活の味気なさに気づき、自然のよさ、美しさに目が開かれる。
その結果、あまりにも技術的な病院分娩よりも、自然なお産の、自然さこそが当たり前であり健康的なのだ、と気づく。
つまりは、彼女たちの心の奥深くにこびりついていた「科学技術信仰」ともいえるものが、目から鱗が落ちるように、剥がれ落ちるのである。
この心情的な変化には、単に古屋労働の体験だけではなく、そこでの妊婦さん同士の人間関係も多分に影響している。
同じように、難産傾向と指摘された妊婦さんたちが、つぎつぎに自然で感動的なよいお産をして退院していく。
「あの子にもできたんだもの、私にだって大丈夫、できそう」と安心する。
一昔前、まだ一軒の家に大家族が住むのが普通だった頃、母親や叔母さんや、姉さんが家の中でお産をし、子育てをしているのをみて成人し、今度は自分の番になったとき、そうした身近な人々に教えられ、精神的にも支えられて、ごく自然なお産ができたように、古屋での仲間同士のふれあいは、妊婦さんたちに自信と安心感を与えるのである。
自然なよいお産をするためには、肉体的な健康さだけでなく、精神的なおおらかさ、リラックマした状態が大事なのである。
(抜粋、以上)
カエルではありません。 その上です
クイズ: 一箇所、文中にマチガイが (・∀・)
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