昨日、以前住んでいた町の、りんこの友だちのお母さんと
久しぶりに電話で話したよ。


短時間だったけど色々話せて
このコロナ騒動のデタラメ(インチキ) についても
さらっと伝えることができた。
子どもたちに強制っぽく通達をされる様々なワクチンについて、ちゃんと自分で調べて『受けさせない選択』をしてきたお母さんなので、
話は早かった。




おいらが話したことについては初めて聞いたということで、その瞬間で全部を了解して信用されたわけでは勿論ないけれど、
「西川さんの言うことは説得力がある」
と言ってくれて、
肯定的に受けとめてくれてうれしかった。




この、
「説得力がある。」
というのは、よく言われる。
わがや(【四猿日記】のファミリーな。) は父ちゃん(亭主寛hiroさんだよ。2014年に他界しました) の療養の関係で
何度も引っ越しをしてきていて、
先々で、本当にたくさんの方にお世話になりました。
そういうわけでたくさんのご縁に恵まれてきたのですが、
その先々の人々が、このように、私のことを表現してくださる。
くだ猿。




さて、
なんで、そういうふうに言ってくれるのだろうか?
今日はこれをちょっと分解してみる。




「説得力がある。」の言葉といっしょに、
「西川さんはご主人のこともちゃんとやってらしたし、
自分でお米を作ったり..ちゃんとやってきているから」
と言うてくださる。




わがやは原始の火(裸の火) を使い、(ガスを引いていないのニコニコ
排水路を、ちょくちょく鍬と鎌を使って整備をし、
お米と少しの野菜を、やはり人力のみで栽培し、、
という具合で暮らしているよ。
単純に、
このスタイルが大好きだから。


鎌、鍬、ノコのような簡単な構造の道具だったら、
メンテナンスが自分で日常で出来るし、
(メンテが出来るってことは、その技術や知識(どういう力学でその道具が道具たりえているのか、とかne.) が身に付くということだよ)


本当に寿命に成ったら、
廃棄物は、
少なくて済むし、
毒物も出ないよ。




本当に、このスタイルは“よいことづくめ”。
だから好き。
大好き!
なんだけど、




この方式でやってきて
さらに面白かった(有難かった) ことは、
次のようなことを、
毎日見ているってことです。
それは、

『この世界に、
デジタルなものは
なにも無い。
一つも無い。
なんーにも無い。』

ということです。




最先端は、デジタル。というか、
ふつうに、デジタル。
と、
かなり多くの人が信じている。
いや、
信じるもなにも
デジタルは、「現代人の共通認識」「常識」
と言って、
おかしくないよね? (おいらズレてっからわかんないんだけど、
どぉですか?)




なんと、
ここ。
マヤカシ。!??

 


おれたちが生きている、存在している『この世界』は
そんなところは、
一ヶ所も無い。
どこまで行っても、
隅々まで見ても、
深く、深く掘っていっても、
ぜんぶ ぜんぶ
アナログだよ。


言い換えるよ。
【ぜんーぶ、つながっている。】


前と次、
“これ”と“その隣”、
0.0000000000000000000000001秒も、
0.0000000000000000000000001ミリメートルも、
ほんの少っしでも、
切れているところは無いし、
階段のように急激に変わる、ということも無い。
連面と、なだらかに、
どこまでもどこまでも
繋がっています。


(毎日の生活空間に限定しているよ。
見たり聞いたり感じたりしているレベルの話)




火は、
どうやって(どういう条件が揃ったら) 点くのか、
(点いてくれるのか)
どのように燃焼するのか、
どうやったら炎が上がって燃えるのか、
どうやったらトロトロと燃えてくれるのか、


そういうことは、
「文章にしなさい」と言われれば、まあ、やりますが、
やれますが、
やったところで、
あんまり意味は無いな。




自然界の 自然な現象は、
いつも、いつも、いつも『条件が違う』から、
無数に、無限にある条件に
自分(人間) が寄って行って
どうにかこうにかする。
そういうもの。




基本はある。
基本から、わが5感6感をフル稼働させて体得する!
ていうのも、
すんごく趣があって、
良いと思う。
愉しいと思う。


(わがやはコレに近い。
もともとオイラはcity girlじゃけんね
だれも信じない鴨だがー。)




自然界の、とりあえずの基本はある。
でも、


自然界に、
毎日に(毎分毎秒に)、
無限にあるパターン
そっちが【現実】。
地球の、ほんとうこと。




んで、それは、
とてもとても文章に修められるものではなくて
どんなに尽くしても、
誠心誠意、
全身全靈、
真心込め込めで書き上げたとしても
「これで完璧!」てことには
成らない。


(それらしくは出来る。
ごく一部を切り取って編集して‥
そうして書籍などに成って、
私たちは雰囲気を感じることはできるよ)




想像する。
想像してみる。
それも人間の素晴らしい特殊能力の一つだけど




自然界にわが身を置きます。
いろーーんな状況に対応します。対処します。
経験を積む。実体験を積む。
そして、体感を繰り返す。




想像ではなくて、
“実際に”やってみると、
そのすべてに、
「途切れが在る部分」

一ヶ所も存在しちゃおらん。
てことが
見えるよ。
ワカルヨ。




火は、
燃えるようにすれば
燃える。
あたりまえに聞こえるけど、
その『燃えるようにやる(to do)』が、
編集された文を読んでるっきりでは、
わからない。
実際に燃やしてみないとなー。







星おまけの話星

 

今の教育指導要項は、
その「文章だけのこと」を、
「教室の中だけのこと」を、
「自然界にはあり得ない条件設定での実習」を、

小の6年、
中の3年、
高の3年、、
長いね。

しかも、
椅子に座って、
聞いてるだけ、見てるだけ、
という12年間を過ごす。


なにが分かるのだろうか。
なにを知れるのだろうか。?








いつもおつきあいくださり
本当にありがとうございます。

合掌!スター
ほうとちゃんねる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021.4.26の記事 再投稿

 

 

 

 

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