【後追いで書いてます
ブログが滞り、ブログ上なかなか出産してあげられずすみませんでした
そろそろ生まれます】
21時30分
リトドリンの点滴をダカダカ入れられるまま、
動悸と手の震えがとまらない妊婦と
定年しバイト中の父親と
輸液ポンプの操作もままならない研修医と
同乗させ救急車が出発しました
救急車に乗り込み扉が締まる瞬間、
周産期センターのセンター長はじめ、たくさんの先生が頭を下げていました
母親は不安そうに、看護師さんに肩を支えてもらっていました
出発した車の中で残して来た母親を心配しながら、
とんでもない事態になったと、不安と緊張の渦の中で混乱していました
田舎では隣の県に移動するのは、とんでもなく時間がかかります
新幹線を途中下車して、転院先の病院に先回りしてくれた旦那に状況を説明しようと、震える手でLINEを送り続けました
23時30分 転院先の大学病院到着
そして再び救急車の扉が開きました
真っ先に目に飛び込んだのは、救急外来に佇む旦那の姿
仕事を早退して、新幹線に飛び乗っていくれた旦那の手に持っていたのは、
『立ち会い出産の時に持って来てね』と約束していた
娘の退院服の入った袋でした
【後から聞いたら、いつ電話がくるか分からないから毎日会社に持っていってたと、、、涙】
旦那を見るなり急に安堵感に包まれたと同時に、
こんな形で呼び出してしまって申し訳ない気持ちになりました
お化けでもでてきそうな
ひんやりとした真っ暗な廊下を通り
診察室→病室へ
【ちなみに研修医は車内で一度も振り返らず、じゃっと言って帰っていきました、、、】
長時間のNSTの装着、絶食、移動、処置、緊張、動悸、振戦
へんな興奮状態になってました
そんなこんな地元の入院から隣県の転院までながい1日
異変から17日目
気づけば日付が変わっていました
深夜、娘の心拍がぐーーーーっと下がり
悶えるくらいのおなかの張りに襲われました
もぉ限界だよね
こんなに苦しい思いをさせてごめんね
早く産んであげたい
そー思いながら、明け方やっと眠りにつきました
旦那はベッドサイドで座りながら眠り、
父親は休憩室のソファーで眠りました
朝方、目を開けた私の心は決まっていました
帝王切開の恐怖なんぞ微塵もありませんでした
今日娘が生まれるんだ
母親になる
何があっても一生守り抜くんだ
横になった病室のベッドの小さな窓から
真っ青の綺麗な空を見てそんな事を思っていました