今月は、大切な人の命日が2回あった。
毎年、手を合わせて冥福を祈り、
私の近況や友人の近況を話す。
故人はもう居ないのに、居る。
不思議な感覚。
私は輪廻を信じている。
だから、以前は…
恐らく輪廻しているのに、亡くなった友人たちの姿を見たり感じたりするのは変だと理性で思った。
本能的な直感のように輪廻を信じて疑わない心。
亡くなった後、時には強引に現れて大切なメッセージをくれた故人たち。
自分の頭と心の説明が、自分自身にできなかった。
今はわかる。
説明の仕方も、エビデンスもないけれど、
輪廻はするし、輪廻した故人を感じることもできる。
私はあなた、あなたは私。
それ以上に説明しきれない。
故人を偲び、愛を贈る。
それは、輪廻転生した次の人生に幸せを届けてくれる。
死後26年経った友人。
私の中では、彼女は若くきれいなままの友人だけど、きっと、とっくにどこかで輪廻している。
彼女の墓前で話しかける時、いつもそう感じる。
そう思う瞬間、必ず暖かい日射しが穏やかに空から照らしてくれる。
嘘のように、もう何年も毎年必ず暖かい日射しに包まれる。
「もう次の人生にいるんだね」と私も笑顔になれる。
どこの国か、どの性別か、
はたまたどの時代かも分からないけど、
次の人生を歩いているのだろう。
何の疑念もない。
そして、故人の頃の彼女に手向ける祈りと愛は、
今の人生を歩む彼女の幸せに貢献する。
幸せに生きる彼女を想うと私も幸せな気持ちになる。
小さい頃、お線香をあげる意味を祖母に聞いた。
祖母は、「遺った人達がお線香をお上げして成仏するように祈ると、成仏できない人さえ成仏できるんだよ」という意味のことを教えてくれた。
小さい頃は、そうなんだぁ…ぐらいに思っていたし、
中学生にもなると、そんな馬鹿な話があるか!とも思った。
だけど、大雑把に言えば、そういうことだ。
厳密な成仏の基準は知らないけれど、
宗派で全く違う教えもあるけれど、
大雑把に言えば、同じだと思う。
花を手向け、線香を手向け、
亡き故人を偲ぶという、人の想いはエネルギーを循環させ、その大元へ、つまり魂へ届く。
以前、師匠に「祈りは愛」だと教わった。
誰かを心配する気持ちも、祈りであり愛だと。
生まれ変わった友人達の喜びや幸せの1つになりますように。
合掌