誰に見せる訳でもないblogだけれど、自分の整理に書いてみる。


子供の頃に住んでいた家の記憶を思い出す最近だったけれど、
ふと思い出した時に『ありがとう』という気持ちを置いてみることにした。

昔の記憶が蘇る意味が解らないけれど、
とにかく、素直な気持ちとして、
『ありがとう‥‥』と心からの気持ちを記憶に一つ一つ置いて行った。


あれから、同じ場面の記憶はほとんど蘇らない。
もちろん、記憶であるから、今みたいに書いたり話したりする時は当然記憶を辿るけど。笑

突然、記憶が蘇るという事が、それ以来激減した。

どうやら『ありがとう』という気持ちが届いた(?)か、
自分の意識の中で落ち着いたのか。


そして、一昨日、
ネットで調べ物をしていた時、
たまたま十五夜花の画像が目に飛び込んできた。

十五夜花。

それは、子供の頃に住んでいた家の庭の隅に毎年咲いていた花だった。
正式名称は何だったか忘れてしまったけど、両親は『十五夜花』と呼んでいた。
紫の花弁の小花。


実は2年前、不思議な夢を見た。
十五夜花の夢。
私が誰かのお墓の花さしに十五夜花を挿していた夢。
とても印象的で気になっていた。

誰のお墓なんだろう?なぜ十五夜花を供えたのか??
ただの夢なのに、どうも気になった。

それで、お師匠さんと話す機会があったので、その夢のことを思い出して聞いてみた。

すると、『過去の自分に花を手向けたんですよ』と教わった。

‥‥が、正直、私は過去の自分に花を手向けていると思えなかった。
過去の時代には整理がついていると思っていたし、なぜ花を手向ける気持ちになるのか。
まぁ、意味は分かるけど感覚が理解できなかった。
‥‥そうなんですか。なるほど〜。
なんてお師匠さんに返事をしていたけど、
意味が分からなかった。笑

けれど、たまたま十五夜花をネットで見て。

ああ、2年前の夢は、この事だったのか、と。

記憶に『ありがとう』という気持ちを置いていくことは、この間のblogを書きながら偶然思いついたからだけれど、
過去に『ありがとう』と伝え置いていくことは、まさに花を手向ける行為だったと感じた。

確かに苦しかった時代だったけど、
そんなに固執しているとは自分では思っていなかった。

だけど、blogを読み返すと、結構‥‥子供時代の感情は根深かったのかもな、と思う。

そして、ここ最近の記憶の蘇りで、
親からの刷込みはどこまでなのか?
自分の本当の気持ちではどうだったのか?
何かを助ける事をしていた幼い自分は本当の自分だったのか?
困っている人を助ける人間になりなさいと母がいつも言っていたな、とか。

でも、そんな事を考え始めたら胎内記憶まで溯らなければ解らないし、
悲しいかな麻酔がかかって産まれてきた私は生み出された記憶もなく。笑

だけど、とにかく気持ちは少しスッキリした。
苦しい時代にも、楽しい時間は時折あったし、大好きな犬達も庭にいた。

ありがとう。
ありがとう。
ありがとう。

すっかり忘れていたけど、
その後、私の誕生日だった。

この為の記憶への感謝だったのかな。
そう思った。
産まれてからの歳月‥‥。

本当に楽しめた。
一般的な人生でいう、完全な折り返し地点。
まだまだ、愛の学びは続く。