こんにちは
薄曇りの岡山です
日差しが弱いぶん少しホッとしています
今日はひまわりホリスティックスタッフとしてではなくて自分のことをお話させてください
不妊治療の末に授かった大切なひとり息子
昭和から平成に代わった年に生まれました
ひとりっ子だから甘やかしている ひとりっ子だからわがままだと言われることがイヤでとても厳しく育てました
子育てが上手ではない私にとって彼はよく学びよく遊び とてもバランスのいい 育てやすい子どもでした
線の細い子でしたが “優しく強く”という私の理想通りの男子に育ちました
私が教えたわけではないのですがとても謙虚な子どもでした
研究者になる夢を叶えるために学んでいる途中に白血病にかかりました
19歳の冬のことです
周りを気づかいながら 泣き言を言わず すべてを受け入れて治療をして 寛解に持ち込みましたが最初に医師より説明を受けた通り悪性度の高い白血病で再発を繰り返しました
強い抗がん剤の副作用で歩くこともできなくなるかもしれない 他にもどんな副作用が出るかわからないと説明されたときに息子は「片目と右手の機能だけ残してくれたらいい」と医師に言いました
彼がやりたい事に到達するにはまだまだ勉強が必要だったからでしょう
異例の3回目の移植が終わったあとの拒絶反応が強くて苦しい日を送りました
無機質な無菌室の中で息子は何を考えてじっと耐えていたのか想像に余り有ります
私が厳しく育てすぎたために我慢をしすぎて病気になってしまったのか
病気になってもなお我慢をして苦しさやツラささえ訴えることができなかったのか……
私と反対に夫は息子と同じ目線で遊ぶことを楽しみました
田舎の広い庭を転げ回り テレビゲームを楽しむ友だちのような2人でした
元気で強くて優しい2人でした
夫が亡くなり2年後に息子が発病し4年間の闘病を経て 息子も夫のもとに旅立ちました
23歳でした
息子が亡くなる少し前に「お母さんが厳しく育ててくれたから他人に一度も叱られたことがなかったよ お母さんの子どもで良かったよ」と言ってくれました
「私もあなたがお母さんの子どもで良かったと思ってるよ」……
厳しく育てすぎた事はそれが正解だったとは思っていません
しっかり甘やかしてやればよかったと思っています
愛情表現の下手なお母さんで申し訳なかったとも思っています
息子の夢を時々見ます
赤ちゃんだったり小学生だったり……
昨夜も亡くなった23歳くらいの頃の姿で夢にでてきました
元気そうにしていて何かを話しているんだけど手首に入院中に付けていたリストバンドをしているのです
夢の中で現実を思い出してとても悲しくなって目を覚ましました
ちょっとどこかが痛いと大げさに大騒ぎをしていた私だけが生き残りました
体が強くて心も強くて優しい夫と息子が早ばやと旅立ってしまいました
今は……周りでささえてくれる人たちのおかげで元気にしています
悲しい夢を見て忘れかけていた色々な記憶が戻ってきて 抱えきれなくなってこの場で吐き出させていただきました
私ごとで失礼しました