最近はスマートな電子デバイス的なフォンのおかげで、文字を書く機会がめっきりぐっさり減ったので、字は読めはするけどいざ書けと言われたら自信が無くなりつつある今日この頃

漢字は正しいはずなのに普段使っていないので、アレ?こんな形だったっけ?と自分で書いた字に自身が持てないというシチュエーションがしばしばあります

便利になった反面、失われたところもあるんだなと、ふとした瞬間感じます

合理性だけを求めたら、現在の世の中のいろんな物、事が消滅まっしぐらでしょう

芸術性だったり、無駄にこそ豊かさを見出す部分は、ある程度ゆとりがないと受け入られないのかなと個人的に思います

誰かゆとりや余裕を分けてくれないかなと思う今日この頃










自分の勝手な思い込みとイメージの話です

格闘家が自分の強さをひたすら求めて、技を磨いたり、体を鍛えたり、試行錯誤の修行を繰り返した先にたどり着くのはきっと礼儀や感謝や優しさなのかなと思う今日この頃

己とひたすら向き合い、自問自答し、ひたすらに力を求めて鍛える

そのさらに先へ進むと、パワー硬さ大きさ派手さとは反対方向の、しなやかさ静けさ滑らかさなどの方に行く気がしている個人的妄想

ギター弾く人もたぶん似たような感じではないのかと思ったり思わなかったり

最初はやれ高いギターだ機材だアンプだ、ゴリゴリに歪ませてパワーとスピードで正面突破的な感じだと思います
もちろん全てに当てはまりませんが

次第に良い意味で音にこだわらなくなると言いますか、自分の音みたいなものが見つかると、大体何の機材を使っても大差がなくなってくると言いますか、自分好みの音にできると言いますか、たぶんそのような傾向だと思います

もちろん本気でこだわりたい時は、セッティングやら音色の数値やらこだわりますが

そして、音をどうこうする機材よりも、例えば配線を整理する電源機材にこだわってみたり、そもそも持ち物をコンパクト化して移動ストレスを減らす方向に行くような気がする今日この頃

まだ幼稚なレベルの時って、たくさんの武器や鎧=機材に囲まれないと不安なんですよねたぶん

そのうちに、いくら機材を増やしたところで、自分の実力そのものをレベル上げしなくてはダメだと気がつくのです

たぶん服とかにも当てはまるのかと

スタイルが良い方がプラスに働くでしょうが、それが全てではなく、値段が高い有名ブランドだから間違いなく良い、と言う訳でもなく、着る人に似合っていなければイマイチとなるのではないでしょうか
そして、最終的には歩き方や所作、姿勢などが結局一番要なのかなと思う次第です

遠回りして何周もして、そして原点に帰った時にたぶん自分なりの真理みたいなのが見つかる気がするし、しない気がしないでもなくはなくない


















ずっと昔に、スペック低い携帯電話のカメラで撮影したにもかかわらず、今見返してもなかなかの出来栄え写真の謎

スペック至上主義だから混乱必須の案件です

新しければ良いかと言ったら一概にそうとは言い切れず、そう言ったところが人間的な良さでもあり、面倒な部分でもあるんですよね   

ノスタルジー

時代が最先端に行けば行くほど、レトロやノスタルジーな感じが愛しくなる今日この頃

どこに向かえば良いのか分からないので寝ます