あなたは誰に感情移入するでしょうか。

2015年の映画「ソロモンの偽証」、前篇・事件、後篇・裁判、を観ました。


機会があれば是非観たいと思っていた映画です。原作は宮部みゆき先生が2012年に出した同タイトルのサスペンススリラー小説です。

もうとにかく、すごいです。「同級生の不審死をめぐり、子どもたちが学校で裁判をする」というほとんどネタバレ無しのあらすじだけを知っていた状態で観ることができた自分は「映画に関する運」が最高に高まっていたと感激せざるを得ません。


中学生辺りから20代、私は健気な読書家でしたが、宮部みゆき先生の作品は読んだことがありませんでした。原作がよく映像化するので、大衆受けしやすい物語を書く作家さんたなんだろうな、思春期特有の、自己内パラレルで偏った刺激を求める私は、特に気にしていなかったのです。ベストセラーや、人気の作品ほどあえて読みたくねぇという感じでした。今は、話題の作品があればリサーチくらいはします。電子書籍があるので、本は買いやすく、読みやすくなりました。


ソロモンの偽証は、まさに、「中学生だった時の私が映画のどこかには存在している」作品でした。もちろん、過酷なオーディションを勝ち抜いたメインキャラクターたちの中にではありません。人だかりの中にいるはずです。


ざっくりとした感想は、「東京ってこわい。でも都会の人たちは田舎に対して同種の不可解さを持つだろうな」舞台は東京なのですが、子どもから大人までなんだかとってもレベルが高いんです。物語だから全体が劇のようになるのは仕方ないんですが、人間としての未熟さやズルさ、悪意を純粋に持ったまま、たくさんの登場人物が複雑な出来事に、作者の巧みな采配で次々と巻き込まれてゆき、そのサスペンスに拍車をかけているのが、都会的な感性や知性を持つ「東京の子どもたち」という感覚です。


生まれも育ちも田舎なので、私は東京の人や根っからの都会人の方の眼差しや、裏表がしっかり透けて見える雰囲気や生きざま、物怖じしない肌質、そういう説明しにくい特徴に苦手意識があるのですが、ソロモンの偽証ではそういう、東京(都会の人)にたじろぐ感覚が爆発しました。


観ていて感じたのは、主人公の女の子(ポスターで天秤を持つ子)は、どこにも現れないフィクションだけど、失くなってしまうクラスメイトは、どの学校にも1人はいるようなリアリティーがありました。

子ども時代の、どうにもできない、動かしたり反転させたり、俯瞰でみたりできない「感情や思想」の恐ろしさ、リアルさ、だってそれは本人にすら無自覚で命まで奪いかねない…なんと言えばいいのか、病、持病?むしろ命そのもののような影響力。

思春期特有の「その子の主張、思想」に、本人や家族が一緒に苦しみながら、生きている。


懸命に生きている、子どもたちと大人たち。

ソロモンの偽証にはたくさんの「社会不安・思想不安の種」が撒き散らされています。

あらゆる不可解な出来事の背景になるような、ベースになるような、「種」です。種が集まって、とんでもない事が起きています。

一番印象に残ったシーンは冒頭、主役の女の子と、飼育係仲間の男の子が、クラスメイトの亡骸を見つけるシーンです。こんな丁寧な作り方、時の流れ方で、何時間も進んでいく映画なのか?とショックとワクワクと、日本映画って作品差がすごいよなって色々な事が頭をめぐりました。

もっと書きたいですが絶対にネタバレするのでこの辺で。