1 才知とは主として類似を探り出す機能である  「知性論Ⅱ」ロック

     

     

   ☆    バーク「崇高と美の観念の起源」みすず書房 p22-3  1/4

 

 

 

 

 2 十三 美の対象は小さい物である

   

     

   ☆    バーク「崇高と美の観念の起源」みすず書房、p123  1/4

 

 

 

 

 

 

3〈自然ハ舌ノ通訳ニヨリ心ノ動キヲ表現スル。〉 ホラティウス「詩法」Ⅰ巻11行

 

 

 ☆    バーク「崇高と美の観念の起源」みすず書房、p186 1/4

 

 

 

 

 

 人の住まなくなった堅固な建築物の石塀のすきまをぬって、最後にどんどん生えていくのは、苔という弱い植物である。それと同じように、感情というものが、この手紙においても堅固な態度のつなぎ目をこじあけて滲透している。  ベンヤミン 

    (ゲーテからの書簡19へのまえがき)

 

  ☆「ドイツの人びと」ベンヤミン、晶文社  1/10

 

 

 

 

 

 

5 手や足の親指は、他の指とは反対の方に動くように出来ている

 

  ☆「最初の哲学者たち」トムソン、岩波、p13  1/11

 

 

 

 

6 小さい子どもは、描くことを学ぶときに、描かれる物の形のうちで、自分がその名前を知っている部分だけを描く傾向がある

 

   ☆「最初の哲学者たち」トムソン、岩波、p160  1/11

 

 

 

 

 

7 時によっては

  恐怖もまた

  善いものである。

  人間であれ国家であれ、

  心のなかに健全な恐怖をもたない者で、

  正義に敬意を払う者があるであろうか   アイスキュロス

 

    ☆ 「最初の哲学者たち」トムソン、岩波、p321  1/11

 

 

方法

 8 感じること、それも強烈に感じることは、我々が生きていることを自覚するためのひとつの方法である。思考の自由な発展も同じ結果をもたらす。

 

 

     ☆ 「自由の創出」スタロビンスキー、白水社、p13  1/19

 

 

 

 

 

 

 

 9 マニュファクチャの煙は、人間が自然と戦争状態にあることを告げる狼煙である。

 

     ☆ 「 自由の創出」スタロビンスキー、白水社、p174  1/19

 

 

 

 

 

 10 理性が夢見るとき、その夢は怪物を宿す(原文:理性の夢は怪物を生む)

      ゴヤ 連作版画集〈ロス・カプリチョス〉43

 

      ☆    「自由の創出」スタロビンスキー、白水社、p225  1/19

 

 

 

 

 

 11 意志すること、それは予測することであり、存在するものを通して、いまだ存在しないものを見ることである。

   

 

   ☆    「自由の創出」スタロビンスキー、白水社、p232、結び近く  1/19

 

 

 

   12      カールとキティーに

   「多くの道には帰路がある。

    しかし君たちにはそれがない。」

   「僕たちは信仰を持たず、世俗の中にいる。

    かって神がいたところには憂愁がある。」

                ショーレムの詩(「一方通行路」に添えて)

 

    ☆ベンヤミンーショーレム往復書簡」ショーレム編、法大出版会   1/24

 34ショーレム→ベンヤミン 1934/9/19, p127

 

 

 

    

 

 

 

     13  「旅は事物を若返らせ、自己との関係を熟成させるものだ」

 

       ☆「性の歴史 Ⅱ」フーコー 新潮社

       訳者あとがき(フーコー序文より引用)、p324  2/12

 

 

 

 

 

 14 ○問うとは知ることを—志すことである

   ○知るとは、習うことができるということ

    習うことができるということは、問うことができるということを前提している。

     

       ☆ 「形而上学入門」ハイデガー、平凡社ライブラリー、p43-4  1/31

 

 

 

15 ○哲学者のほかには詩人が無について話すことができる。

   ○哲学および哲学の思惟と同列にいるのはただ詩だけである

   詩人の詩作と哲人の思惟との中にはいつでも広い宇宙空間が開けられている。

 

          ☆「形而上学入門」ハイデガー、平凡社ライブラリー、p51 1/31

 

 

  

 

⒗ 〇存在という時、ほとんど何かに強制でもされているようにどうしても、存在・・・と言わざるをえなくなる

  ☆「形而上学入門」ハイデガー、平凡社ライブラリー、p156 1/31

  

 

 

 

17 〇聞こえぬ調べこそ一層美しい (キーツの「ギリシアの壷に寄せるオード」) p49

  ○セザンヌは生まれ出でようとする秩序を描こうとした。彼の絵が最初の姿における

 自然の印象を与えるのはそのためである。(M/ポンティ「意味と無意味」) P88

 〇「古典」が「古典」になるのは批評によってである。 P175

 

   ☆「文学部という冒険」田島正樹、NTT出版  2/2

 

 

 

 

 

18 〇狩野永徳は「洛中洛外図」のなかに、そもそもいかなる意図をもって、かくも大量の雲をーしかも金いろをした雲をバラまいたのであろうか。

 

    ☆「日本のルネッサンス人」花田清輝、朝日出版社、p239  2/2

 

 

19 もちろん戦後民主主義を「虚妄」と見るかどうかということは、結局

  のところは、経験的に検討される問題ではなく、諸君の価値観にかか

  わってくる。・・私自身の選択についていうならば、大日本帝国の「実在」

  よりも、戦後民主主義の「虚妄」の方に賭ける。   丸山眞男

     (64年5月「増補版 現代政治の思想と行動」後記、未來社)

 

◇きわめて有名な言葉だが、丸山が〈賭け〉という語を用いていること

に注目したい。晩年まで丸山を師と仰いでいた藤田省三が、〈賭け>という

語にみせるこだわりを思い出す。

 

    ☆「丸山眞男 八・一五革命序説」松本健一、河出書房新社、p75  2/8

 

 

 

 

 

20 私は古典古代の世界に救いを求めました。プラトンは避けました。

  プラトンはイメージの飛翔が危険なので、恐ろしかったからです。

  一番頼りにしようと思ったのは、セネカとキケロでした。概念たちが限定され整理されて       

  いるので、それらの生み出すハーモニーが私を健康にしてくれるのではないかと思った   

  わけです。     (略)

   しかしながら、概念は自分たちだけでゲームをやっていたのです。(略)

  概念たちの間にいると、恐ろしいほど、孤独を感じました。眼のない彫像ばかりが立っている庭園に閉じこめられているような気分でした。

     (手紙 F・ベーコン宛て 1603/8/22)

 

☆「チャンドス卿の手紙」ホーフマンスタール、丘澤静也訳、光文社文庫p19-20 2/11

 

 

 

 

 

21 ーを読んでいて(ある短篇の冒頭)言葉にぶつかりました。

「詭弁抜きで考えること、模写せずに形づくること、計算抜きで行為すること」、

あの人たちの記憶は、彼らが生きていた間はぼくにとって遠く離ればなれであったものを、いま結び合わせている。あの人たちは別世界から来た人間のように死んだときのままの若さで現実に生きている。  F・ラング宛 23/2/24

 

◇ベンヤミンコレクションの悲痛なソネットで気づき、ショーレムへの手紙で名前を知ったF/ハインレは、ベンヤミンの親友だったが。第一次世界大戦のはじまった夏の初めに心中した。おそらくは深い絶望で。この書簡Ⅰで、心中した女友だちの名前、その妹(姉?)に心中の直前に手紙を出していたこと、またハインレ兄弟への深い傾倒ぶりを知ることができた。ベンヤミンの思想の骨格がここに出来る、といってよいだろう。

 

  ☆「ベンヤミン著作集 書簡Ⅰ」晶文社、p166   2/1

 

 

 

 

22 〇私の物語るのは次の二世紀の歴史である。私は来たるべきものを(略)すなわちニヒリズムの到来を書きしるす。P13

  〇一 1 ニヒリズムはいま戸口に立っている。全ての訪問者のうちで最も気味わるいこのものは、どこからくるのであろうか?p19

  〇九 ニヒリズムの先行形式としてのペシミズム・・p25

  ○三一 ヨーロッパのニヒリズムはその緒についたばかりである(略)それはかっ 

    てインドにおいてはもっていた、無がそこに反映するところの、あの驚くべき憧憬の凝視 

  をまだもってはいない。P41

  

  〇一〇七 「不合理なるがゆえに我信ず」(Credo quia absurdus est.)と、ドイツ精神はか  くの如し(下略)P104

 

  ◇四五八 〇思考そのものが一つの行為であり、しかも思考は行為を前提する。

     〇「行為しなければならない。したがって一つの基準を要する。」

     〇「行為してはならない。」―いっそう首尾一貫した彼らの兄弟、仏教徒たちはこう  

     言い、どうしたら行為から解放されるのかの基準を工夫した・・P383

 

        ☆「権力への意志  上」ニーチェ、理想社  3/2

  

 

  〇四六九 最も価値ある洞察は最も遅れて見いだされる。しかし最も価値ある洞察と   

  は方法である。P14

 

  〇七九四 私たちの宗教、道徳、哲学は人間のデカダンスである。

  この反対運動がすなわち芸術。P265

  〇八二三 芸術でもって道徳化に挑戦すること。P289

 

  〇一〇三〇 地獄の門の上に「永遠の愛我をも創りたり」と記したダンテp438

 

     ☆「権力への意志(下)」  3/14

 

  

 

 

 

 23  55 何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ

 

     

   ☆「閑吟集」真鍋昌弘校注。岩波文庫、p94  3/4

 

 

 

 

 

24 〇悲しみにかきくれてうずくまる少年が 

  五月の蝶のように賑やかな笹船を放ちやる 

    ランボー「よいどれ船」   p40

 

  ○神は色彩であり、悪魔は黒い輪郭である 

          ニュートンのことば ブレイクからの引用   p88

 

   ☆「怒れる海 ロマン主義の海の図像学」オーデン、澤崎順之助訳、南雲堂 3/8

 

 

 

 

25 〇   3

    (2行略)

   (牛を引いていた)少年が答えた。「流れる水は柔らかいけど、

    時がたてば、大きな石にも勝つことを。

    ね、わかるでしょ、硬いものが負けるんだ」

    (亡命の途中に生まれた「老子道徳経」の伝説)  p243

 

 ○「真理は具体的に」

 (ブレヒトの書斎の天井の梁に)訳者解説  p297

 

    ☆「暦物語」ブレヒト、丘澤静也訳、光文社文庫 3/10

 

  

 

 

 

 

26 ○「橋は道もなき水の上にも道をなす」

     北村季吟、源氏物語湖月抄「夢の浮橋」より 

 

     

    ☆「美しいもの」白州正子。角川ソフィア文庫、p111  3/20

 

 

 

  27 ○万能一徳の一句あり。此句三ヶ条口伝在 是非初心不可忘。

    初心不可忘 時々初心不可忘 老後初心不可忘 此三句 能々口伝可為

 

        ☆「世阿弥」白州正子、講談社文芸文庫、p52-3  3/25

     ◇中学校でクラス担任をしていたずいぶん前のこと、中1のクラスで、生徒 たちに「初心を忘れるな」と学活や学級通信で、一年間くりかえし説いたことがあった。担任した生徒の一人にA君がいた。学力の点で「このまま普通学級では続けられないのでは」と周囲の先生から言われていた。進級してクラスを離れだいぶ経ったある日のことである。「初心を忘れるな、だよね、先生」と声をかけられて、驚きかつ嬉しかった。

  格言について知ってはいたが、オリジナルは世阿弥の言葉であるとは、まだ知らないでいた。

 

 

 

  ○「交際は思索者にとって、不可欠である。」

  社交性というこの概念は「判断力批判」第一部の鍵をなす。P9

  ○批判的思考が伝達可能性を意味する。

   思考が孤独の営為ではあるが、全くその可能性は他者に依存している。p57

    ○社交性こそが人間の本質をなす。P113

  

 

 ○  思考とは、自分自身との自分の無言の対話である。(カントがプラトンに同意したように) p56 

 ○「思想自体は生きた経験の出来事から生じる」(「過去と未来」Ⅰ序文)p145 

 

 

 ○ 是非の判定能力ないし判別能力である共通感覚が、何と趣味の感覚に基づくp97

 ○「共通感覚」センススコムニスはそれに伝達すなわち言葉に依存しているが故に、特殊人間的な感覚である。p107

 ○常識と共通感覚との間にある明確な区別が看守される。(趣味は後者)p109

 

 

 ○趣味という18世紀を通じてのお気に入りの演題の背後に、カントは全く新しい人間の能力、すなわち 判断力を発見した。p8 

 ○「趣味においてエゴイズムが克服される」カント  p103

 

 

 ○「構想力とは、自らは現存していない対象を直観において表象する能力である。」  

     カント「純粋理性批判」  (アーレント「構想力」1070年秋)p122

 ○構想力 時に「一切の経験の根源の一つ」 (「純粋理性批判」)

               (アーレント「構想力」)p126

 ○「構想力だけが物を正しい視角で見ることを我々に可能にする。」

 「構想力は我々がもつ唯一の内なる羅針盤である。」

            (【H・アーレントの判断作用について】ベイナー) p144-5

 

 

 

 

「見よ、この瞬間を!・・瞬間という門口から長い永遠の小径が過去の方へ通じている」(「ツァラトゥストラ」)      p222

○「人生の真の尺度は記憶である。回顧することによって、記憶は稲妻のように

  人生全体を横切る。」

    (カフカの寓話についてのベンヤミンの注釈) 結びp237

 

  ☆「カント哲学講義」アーレント、ベイナ―編、法大出版会  3/25