生涯で一番長い付き合いの人間が死んだ........昨日の午後の事でした。自分は仕事していたので死に目には逢えなかったが。

言うても93歳、先週辺りから飯も食わなくなってヤバいと聞いて最後の面会はしていたので、覚悟はしていたので、特別に悲しいという感じでもない。

冷たいのでしょうね。ただこの父親という存在が自分には唯一の肉親なので、あぁこれで天涯孤独だな…そんな感慨だった。

僕のブログの古いフォロワーさんはご存知かと思うけれど、ウチはちょっと特殊な家族だった。

子供が産めない妹を想い、その兄がヤクザ稼業の中で借金のカタに赤ん坊を貰い受けてきたという、嘘みたいな話で。保育器に入れないと死ぬというその未熟児の赤ん坊が俺で、そんな金など無い中でその妹さんは赤ん坊を救った・・・それがオカンだった。

生後1週間、臍の緒がついたままやって来たと聞く。

そしてその亭主がきのう亡くなった親父という事になる。長い付き合いでした、60年超えですものね。

奇妙な関係だった。幼少期はまだ良かったが、母親の俺への期待と溺愛に父親は嫉妬する様になった。物心つくと息子の俺は反発しかしなくなった。母親を虐める不幸にする悪い野郎だ!

15で家を出た、、、、

父親と心から交流したような記憶は薄い。まったく性格が合わないし、ガキだった俺にはそんな嫉妬心なんてのも理解を出来なかったし。

母親が25年前に倒れて、仕方なく同居したが、形ばかりで相変わらず反目しあってた。

その繋ぎ目であり一家の太陽である母親が20年前に亡くなり…事実上、タナカ家はそこで終わった。

母の強い愛情に応えれず、のんべんだらりの俺の落とし前はもうつけれないー。明らかにそこから俺の魂も燻りだした。

父親とはお互いに何か困った時以外は不干渉、同じ屋根の下に居ても何をしてるかも知らなかった。

そんな親父も85歳を超えた頃から衰えだしてやがてボケてきた。そこからは施設だー

まったく良い息子では無かった。

タナカ家のカネも使い果たしたし。まあその蓄えには俺も貢献してたのだし、生前贈与だってなもんで。

流石にもう俺は奴に仕返しした様な気になり、少し優しい息子にもなったが…

だが、やはり血が繋がってないからなのか、俺の人間性の程度が悪いのか、最後まで本気になれなかった。


奴の骸を見ながら考えてた…いったい俺たちの人生って何だったのだろうって。お互いが未熟過ぎた…ボタンのかけ違いとよく言うが、ボタンも穴もまるで噛み合ってなかった気がするー。なんの縁なのか神仏の思し召しだったのか…何かの罰だったのだろうか。頭の中をグルグルとしょうもない思考が駆け巡るばかりで取り留めなくなった。


母の兄がどこぞの貧乏人の子沢山の死に損ないの赤ん坊など貰ってきたばかりに、お袋も親父も人生が変わったのは確かだろうー

小説や映画なら、こんな命拾いした息子はさぞかし立身出世して母の苦労に応えるものだがリアルは真逆のバカ息子でしかなかった。お袋の前では良い子を演じていたが最後は見抜いていたろうな、こいつはバカ息子だと。それでも愛してくれたあの日々を忘れられない。

ヤクザな叔父貴の行動から始まったタナカ家の歴史、、、、なんだったんだよ!

答えが浮かばなかったー。

一番付き合いの長い人間が昨日死んだ、、、、

   それだけの話なのですがー。