彼は破天荒で、時に手に負えない人だったけど、ズルい奴ではなかったこと。地位も名誉もないけれど、どんな嵐の中でも駆けつけてくれる友だけはいる。これ以上、生きる上で何を望むんだ。そう聞こえています。
内田裕也を送る会で娘さんの読んだ謝辞が素晴らしかった。すげぇ文才に驚きもした…この短文で亡き両親の真実を見事に想像させるし、あらわしてるー
特に、この親父を書いた部分…こんなのを送られたらもう男としたら本望だよな。
俺もコレを言われたいと、つくづく思った。いいじゃないの、誰になんと言われようと深く分かってくれてる〜理解してくれてる人が居る!
それだけでいいんだよな本当は。
そして終盤、こうまとめるー
2人を取り巻く周囲に、これまで多大な迷惑をかけたことを謝罪しつつ、今更ですが、このある種のカオスを私は受け入れることにしました。まるで蜃気楼(しんきろう)のように、でも確かに存在した2人。私という2人の証がここに立ち、また2人の遺伝子は次の時代へと流転していく。
2人の遺伝子は受け継がれ流転している
ほんとに謝辞だよなぁ…と。
そして内田裕也なる男が羨ましくなった。なぜなら俺には流転させる遺伝子は残せなかったからだ。
それにしても、名文じゃないかー
流石、文筆も生業にしてるだけある。
下手なヤツは(俺など典型だが)、事実やエピソードを羅列して、最後は自分の感想で完結させてしまう。
こういう文章は、読み手の想像力が入る余地が無くなってしまうから、よほどその事に興味ない人間は面白いとは思わなくなる。
よく、私は万人受けしないなどと言う人がいるがそうじゃない。上手い文章は興味なくても読ませるのである、だから売れるのだ。
お笑いなどでいう「間」とでも言うか、文章で言うなら「行間」を読ませると言うか。
一つ一つを多く語らないのに全てを察せるような文章…これが俺は名文だと思うのだ。
オイラも一生に一本ぐらい
そんな名文を書いて遺したいものだが