今朝も西城秀樹さん死去の波紋が残ってるのだけれど、オイラもまた最近考えてる老いとか死とかの意識がまた濃くなってしまった。
西城さんの死因が心不全だったからイメージからして急死なのかと思ってたら、連休明けには入院しててその頃には奥さんがもうダメかもしれない〜なんて弱気を言ってたなんて話を知り、変な言い方になるがそういう時間があったのは良かったのではないか?なんて思った。
一般にはポックリ死にたい〜なんて意見が多いのだけれど、オイラは嫌なんだよねえ。だって、汚いパンツ履いてるかもしれないし、鼻毛出てるかもしれないじゃん。急死じゃみっともない格好である可能性があるから嫌だな〜って思う。
さりとて長い闘病で苦しんでヨレヨレで死ぬのもイヤなのだが、とにかく痛い苦しいを減らしてくれるのなら、死まで余韻がある準備期間がある方をオレは望みたいなぁ。
見たい景色や食い物や友人やら、ちゃんと目に焼き付けて冥土の土産を仕舞い込んで、三途の川を渡りたいのだ。突然死じゃカバンがカラじゃないの、それはイヤだなぁ〜と。
そして最期の景色は愛する人の顔であってほしいし…。
ねぇ、でも死に方は選べないー。
人間なんて哀しいよ。
とわいえ、チマチマ終活なんてやるガラじゃないのだけれど、ほんと最近になってこんな事ばかり考えてるんだなぁ。病いも老いも死も現実的になってきて実は恐くて仕方ないんだよ。
それがどこか弱気な最近の自分に
繋がってる気もしてねえ。
いや逆説的にいえば、そんな事に捉われて居られるってのは、その環境に余裕があるとも言えるー。
病いと老いと死…
人類史出来てからずーっと課題なのだろうから、特別な話ではないのだろう。
考えようが忘却してようが誰も逃げれない
なんか一家みんなで朝メシを並んで食べてる光景に感動する…当たり前だったんだよなぁなんて。
