おはようございます。
先日ブログでも書いた通り、⇒http://ameblo.jp/1056553/entry-12188430448.html
「与える瞬間が一番幸せである」という理論を実生活で証明するために日々過ごすようにしているのですが・・・
全然うまくいかない!
というか全然幸せじゃない!
神様
「じゃろうな。」
じゃろうな!?
ひげ引っこ抜くぞ!こっちがどんだけ苦労してるかわかってんのか!!
神様
「わしは『与えている瞬間が一番の幸せ』と教えた。その教えは真理じゃ。教えのほうを疑うでない。お前たち人間はいつもそうやって真理と出会っても、ちょっとうまくいかないとすぐに教えのほうを疑い始める。だからいつまでも苦しいんじゃよ。簡単な真理なんじゃからだまされたと思ってやり続ければいいものを。」
だって、つらいんだもん。
楽しくないんだもん。
神様
「なぜつらいか、なぜ楽しくないかわかるか?」
わかんないから聞いてるんだってば!
わかればつらくないでしょ!
神様
「まったく・・・。ちょっとは自分で考えなさいよ。いいか、お前は「与えている瞬間」に相手の反応を気にしたじゃろ?『喜んでるかな?』『うれしそうにしてくれてるかな?』ってな。」
あー、はい。
そりゃそうでしょ。
そもそも、相手に喜びや幸せを与えようと思って接しているんだから、喜んでるかどうかチェックするのは当たり前ですよね?
神様
「じゃからつらいんじゃよ。相手の反応を見ているということはつまり、お前がまた受け取ろうとしているということなんじゃから。」
んっ?んっ?
どういうことですか??
神様
「与えた後に、「喜んでくれた」なら自分もうれしいし、「楽しんでくれた」なら自分も楽しいと思うのであれば、『与えている瞬間=幸せ』ではなく、『与えた後の反応を見て幸せ』ということじゃろ。見返りを求めて行動していることになるじゃろ。おバカさんなのかな?」
ま、まじだ・・・。
与える瞬間の喜びを感じるためにいいことをしようとしてたけど、気づいたら、よろこんでもらうためにいいことをしてしまってた・・・。
神様
「しかも、お前はおバカさんじゃから、「与えたくて与えたくて仕方がない状態」になってから与えなさいという教えすら守らずに、「とにかく与えよう」としたじゃろ。自分の中に喜びが満ち溢れていないのに、無理に相手に喜びを与えようとしたじゃろ?」
あ、それも図星です。
『いやー満たされてるなだから、おすそわけしよ』じゃなくて、
『おすそわけしなきゃ!おすそわけしなきゃ!』になってた。
でも・・・待てよ。
成功者たちは自分が貧しいころから募金したり寄付したりしてたっていうし、満たされる前から与えてると思いますけど・・・。
神様
「お金やら食料やら、物質的に満たされているかどうかの問題ではない。幸せか不幸せか、精神的に満たされているかどうかの話じゃ。貧しいころから募金していた成功者たちは、貧しいころから精神的に満たされていたんじゃよ。じゃから喜んで募金や寄付が出来た。」
なるほど・・・。
結局はまず僕が精神的に満たされていないと何も始まらないわけですね。
神様
「そうじゃ。そして自分を満たすための魔法の言葉がこれじゃ。『本当はどうしたいの?』。」
本当はどうしたいの?
神様
「そうじゃ。自分の心に問うてみい。すると心は正直に語りだすだろう。まずはそれを『出来る出来ない』や『いい悪い』で判断せずにしっかりと受け止めてあげることじゃ。」
そっか。自分を満たすための魔法の言葉。
本当はどうしたいの?
神様やってみるよ!ありがとう!
ということで今日は「ほんとはどうしたいの?」と言いながらポチ!いつも応援ありがとうございます。