おはようございます。
求めよ、さらば与えられん
って聞いたことありますか?
新約聖書の一節だと思うんですが、「与えられん」って言われると、「与えませんよ」みたいなニュアンスだよなと思ってたら、実は真逆で「与えられますよ」ってことだったんですね。
昔の言葉はややこしいですね。
ちなみに戦時中の日本は、「ほしがりません、勝つまでは」とか言って、いろいろなことを我慢してきたわけですが、「我慢=美徳」という雰囲気ありませんか?
でも、それっておかしいと思うんですよね。
いや、もちろん賛否両論あっていいんですけど。
だってね、
我慢しましょうって、何を我慢するの?ってなったら、やりたいことをやるのを我慢するわけですよね。
で、やりたいことを我慢するとどうなるのって言ったら、「幸せだな、生きててよかったな」と思う機会が減るってことでしょ。
で、なんで我慢してるの?って言ったら、「幸せになるため」なわけでしょ?
いつか幸せになるために、今、幸せを感じられるようなことを我慢するんでしょ?
なんかおかしくないですか?
ゆっくり休むのが夢なのに、いつかゆっくり休むために今ブラック企業で休みなく働き詰めるわけでしょ?
幸せになるのが夢なら、今、幸せを感じられるようなことをすればいいんじゃないですか。
ゆっくり休みたいなら、今、ゆっくり休めばいいんじゃないですか。
「そんなこと言ったって生活があるのよ、こっちには!」という声が聞こえてきそうなところで、この言葉。
求めよ、さらば与えられん。
我慢せずに好きなことやってお金稼いでいる人なんて世界中見渡せば溢れるほどいますよね。
十分な休息をとりながら仕事を出来る職場、ごまんとありますよ。
求めよ、さらば与えられん。
絶対に不可能なのではなく、絶対に不可能だと思っているあなたがいる。
それはもったいないことです。
自分が本当にほしいものは何ですか?
我慢ですか?争いですか?貧困ですか?病気ですか?陰口の言い合いですか?
幸せですか?夢ですか?希望ですか?愛ですか?
求めよ、さらば与えられん。
つまり、今あなたの目の前で展開されている世界は、今あなたが必死に求めているものがすべて実現化された世界なわけです。
今あなたの世界はどんな世界ですか?
愛に満ちた世界?
ケンカばっかりな世界?
最高に幸せな世界?
大丈夫です。
もう戦争は終わりました。
自分がほしいものを、ほしい現実をほしがってくださいね。
ということで今日は「求めればいいのね、幸せを」と言いながらポチ!いつも応援ありがとうございます。
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