そんな時にふと考える。
僕たちは全てを見てるようで自分が見たいものしか見ていないし、何も見ていないようで見たいものだけしっかり見ているのだ。と。
僕たちの目に入ってくるものには個人差があり、全ての人が同じ世界にいるのに誰一人として全く同じように世界を見ていないというのが事実だ。
前置きが長くなったが、よく職場で、
「あの人は困った人だ!」
「あの人は間違えてる!」
という言葉を聞くのではないだろうか。
職場に限らず、聞くかもしれないが…。
これは日本人特有の特徴らしいのですが、ちょっと考えて頂きたいんです。
なぜその人は困らせるような行動をとってしまうのでしょう?
本当にその人は間違えてますか?
ここで、
「絶対に間違えてる!!」と思った方、要注意です。
生まれた場所も、育った環境も、習ってきたことも全部違う状況で、あなたの思い通りに動く人しか近くにいないという状況の方がありえないんですよ!
だけど、日本では古来から「和をもって尊しとなす」という文化があり、「阿吽の呼吸」なんていうオシャレな言葉もある。
だから、なんとなく「言わなくてもわかって当然」という前提がある。
逆にアメリカなどの他国では、そもそも風習の違う多くの人種が生活しているため、「言わないとわかって貰えないし、聞かないとわからない!」のが前提なんですね。
だからしっかり議論するし、違うのが当たり前だから、「あの人は間違えてる!」なんて言い方はしない。
「あの人は自分の思い通りにはならない!」とちゃんと主観的に意見を言えるのだ。
この違いがわかるだろうか。
「あの人は困った人だ!」という言葉は、客観を装った主観的な言葉だ。相手を攻撃した状態で完結しているので、もし状況を改善するとしたら困った相手にどうにかしてもらうしかなくなる。
つまり、わかりやすく訳すると、
「私が困らないように変わってね!」ということである。
これに対して、「あの人は自分の思い通りにはならない人だ!」の場合はどうだろう?
少なくとも相手を攻撃はしていない。そして、思い通りにしてもらいたいと考えた時には、
「じゃあ自分には何が出来るか?」を考えるのである。
使い慣れたはずのコミュニケーションが、実は一番にコミュニケーションの弊害になっているということは往々にしてあることなんですね。
だからこそ、自分の価値観だけを正解と思い込まないでたくさんの価値観に触れる機会を作るといいかもしれませんね。
【簡単エクササイズ】
普段歩き慣れた道(通学路、通勤路でもオッケー!)を歩く時に、必ず新しい発見を一つは見つけてみる。
結構すぐに見つかりますよー!
みんなで視野の広い人間になりましょうね。