『いやぁ~ユウスケさん、部下が全然いうこと聞いてくれないです。』
前に僕が勤めていた会社で可愛がっていた後輩が相談を投げかけてきた。
彼はまくし立てるように、いかに自分が頑張っているか、いかに部下がやる気がないかを『ドラッカー』の話やら『松下幸之助』の話やらを織り交ぜながらそれっぽく熱弁していた。
ひとしきり話を聞き終えたところで僕は彼に僕の意見を伝えた。
(カウンセラーとしてではなく、一人の友人として。)
『しんどいなら、上司やめれば??』
彼は目ん玉が飛び出そうな顔でこちらを見た。
『あのね、そのくらいのことでギャーギャー言うなら上司になる資格、全然ないよ。なんの覚悟もなく上司になってますって公言してるのと一緒だね。どっかの国の軍隊なら部下から撃ち殺されてるよ。笑』
一説では、ベトナム戦争中の米指揮官(小隊長クラスの将校)で戦死した人の二割は、後ろから味方の部下に撃ち殺されたと言われている。
これは、上司が憎いからではなく、『この上司の組織にいては、死んでしまう(組織が滅んでしまう)』と思ったからだと言う。
もちろん今の時代、10人程度の組織をうまくマネジメントできないくらいで殺されることはないだろうが。
僕が伝えたかったのは、
「落胆する」「怒る」「悲しむ」などのマイナスの感情は、基本的に『本能』から沸き起こる動物的なものであり、それを制御出来ずに表に出してしまうのは、「理性」が鍛えられていないということをアピールしているだけの愚かな行為になるんですよ、ということである。
『そもそもそれを想定していなかったから怒った』
『それを乗り越えれそうな気がしないから悲しんだ』
『冷静な現状把握を怠っているから安易に落胆する』
厳しい言い方をすれば、こういうことだ。
買ったばかりのスーツにコーヒーをかけられて怒るような人は、まだそのスーツを着るだけの器量が備わっていないのだから、コーヒーがかけられても腹が立たないくらいのスーツを着てたほうがいいですよ。
買ったばかりの車に傷を付けられて、気が狂うように怒鳴り散らすのであれば、そもそも新車じゃなくて中古車を買ってください。
ということだ。
日本では、カフェや居酒屋で会社や上司の批判や、家族(旦那や妻)の批判をする光景をよく見るが、アメリカではそういった光景はほとんど見られないという。
自由の国アメリカでは、「大人は、原因も解決策もすべて自分が持っている」という考えが根本にあるようで、居酒屋(バー)で会社の批判をしたら軽蔑されるという。
『おい、その会社を選んだのはお前だろう?』と。
『おい、上司になろうと思ったのはお前だろう?』
『おい、そのスーツでカフェに入ろうと思ったのはお前だろう?』
『おい、その車をそこに停車したのはお前だろう?』
マイナスの感情をイキナリそのまま発散するのは、しつけのなっていないワンちゃんと同じということです。(すいません、冗談です。笑)
でも、マイナスの感情を感じないようにするというのはそもそも不可能です。
大切なのは、マイナスの感情が生まれた時にそのエネルギーをどうやってプラス変えることが出来るか、と、今自分が出来る最善はなんなのだろう?と問いかけること。
先日のブログでも更新したように、過去と他人は変えれない。変えれるのは自分と未来だけ。
批判なら誰でも出来る。
誰でもできるけど、何も前には進まない。
大切なのは、批判することではなく、その現状を変えるために自分が何を出来るかを考えて行動することである。
他人の行いを批判するときに指す指は、相手に一本、自分には三本向いてるんです。