私は時々、自分の中に溜まった汚泥のような澱や、毒を吐きたくなる。
言わば、心のデトックスがしたくなる。
無害か、はたまた害があるか…
私に対する見方が変わってしまいそうだけれど、それでも自分の内側…内面を吐き出してみた。
アタシは嘘がキライ…
嘘は口からこぼれ落ちた途端に現実になるから。
アタシは明日は何色だと聞かれたらグレーと答える。
明日とは曖昧で不確かだから…。
アタシは信じるのが怖い…。
そのずっと奥が欲しくなるから。
アタシは夢を見ながら生きて行くのが好き。
そのゴールはずっと先だから。
アタシは……
自分が不幸だと思いながら生きてきた事が嫌い。
人に不幸と思われた事が自分を貶めてしまったから…。
アタシは…
アタシは……
意識を飛ばして記憶の彼方の君をみる。
『なぁ…施設入れちゃえよ』耳を疑う父の言葉。
子供の私にだってそれがどんな場所なのか薄々は分かる。
けれど、父はあっさり言う。
その日がいつ来るのかと怯える私。
事ある毎に母に言う。
母は諭すがほとぼりが冷めればまた言い出す。
ある時、成長した私は、もしかしたら自分は父の実子ではないのではないかと疑った事がある。
いっそ、その方がどれだけ楽だろう…
しかし、紛れもなく自分は父の子なのだ。
鏡を見ればどこか父に似た面差し、父によく似た手足の爪。
それらは、自分は父の子である証なのだ。
憎悪の反面、愛情への渇望。
『ナゼアイシテクレナイノ……ナゼアイサレナイノ』
なぜだか私は父に愛されなかった。
だからとて、未だに疑問符を投げかけても、もうどうしようもないのに…
時々襲う疑問符が拭えない。
思い出すことなく、忘れて生きられれば楽なのに…
そういった処理が少し苦手な私は、それを記憶の引き出しから引っ張り出し広げてしまう。
今度仕舞う時は、二度と出せないずっと奥の場所に押し込んでしまえば良いのに、また出せる場所に仕舞ってしまう。
闘って生きるのは難しい。強く生きるのも難しい。楽に生きるのも難しい。
でも…
逃げて生きるのはもっと難しい。
逃げても必ず追いつかれる。
そして、同じ闘いが襲いくる。
一切を止めてしまおうと考えた時もあるけれど、自分を止める事はもっと難しい。
闇を弄って夢中で過ごした十代の後半の頃、私は、私を救ってくれた一匹の薄汚れた猫に出会う。
私が初めて心を許し、癒され、大切なことは何かを教えてくれた生涯で一匹目の猫の存在。
私の猫への崇拝に近い威厳はここが始まりだ。
彼がいたからあの時期をやり過ごせたのだ。
一緒に生きられたのは、たった7年の歳月だったけれど、彼の強く逞しい生き様は今でも私を支え続け、どんなにツラくても『生きる』をする為の勇気になっている。
小さな一匹の雄猫に何が教えられるものかと思われるかもしれないが、私を信頼し、無償の愛情を授けてくれるその存在に、どれだけ助けられたことか分からない。
どれだけ生かされてきたか分からない。
だから、無力で微力でも彼の仲間を…猫を救いたくて過ごしてきた。
その考えは揺るぐことなくこの先もずっと持ち続けて行くに違いない。
それが、私が存在し、生きる理由。
記事を読むにあたり、親という存在が絶対的な方や、複雑で様々な家庭環境の方におかれましても、不快以外の何ものでもないと思うし、気軽な気持ちで覗いたのにこんなディープで重く理解不能な記事を読ませられたのではたまったもんじゃないと思った方もおられると思います。
内容があまりにも異質過ぎてしまう為、限定にしようとも考えました。
ですが、良くも悪くも自分の軌跡を書き殴り、再認識し、その部分を敢えて晒すことで自分への勇みや前進のきっかけが掴める気もしたのです。
そして、いつも私の拙い記事を読みに来ていただいてる方へは、こんな事を書きましたが、私は元気です。
いい年をして脆く、未熟な私はいつも奇妙な爆弾記事を投下してしまいすみません。
そして、ここまで読み進んで下さった全ての方へ、お付き合い頂きありがとうございます。
感謝です。
そして、今後とも宜しくお願い致します。
言わば、心のデトックスがしたくなる。
無害か、はたまた害があるか…
私に対する見方が変わってしまいそうだけれど、それでも自分の内側…内面を吐き出してみた。
アタシは嘘がキライ…
嘘は口からこぼれ落ちた途端に現実になるから。
アタシは明日は何色だと聞かれたらグレーと答える。
明日とは曖昧で不確かだから…。
アタシは信じるのが怖い…。
そのずっと奥が欲しくなるから。
アタシは夢を見ながら生きて行くのが好き。
そのゴールはずっと先だから。
アタシは……
自分が不幸だと思いながら生きてきた事が嫌い。
人に不幸と思われた事が自分を貶めてしまったから…。
アタシは…
アタシは……
意識を飛ばして記憶の彼方の君をみる。
『なぁ…施設入れちゃえよ』耳を疑う父の言葉。
子供の私にだってそれがどんな場所なのか薄々は分かる。
けれど、父はあっさり言う。
その日がいつ来るのかと怯える私。
事ある毎に母に言う。
母は諭すがほとぼりが冷めればまた言い出す。
ある時、成長した私は、もしかしたら自分は父の実子ではないのではないかと疑った事がある。
いっそ、その方がどれだけ楽だろう…
しかし、紛れもなく自分は父の子なのだ。
鏡を見ればどこか父に似た面差し、父によく似た手足の爪。
それらは、自分は父の子である証なのだ。
憎悪の反面、愛情への渇望。
『ナゼアイシテクレナイノ……ナゼアイサレナイノ』
なぜだか私は父に愛されなかった。
だからとて、未だに疑問符を投げかけても、もうどうしようもないのに…
時々襲う疑問符が拭えない。
思い出すことなく、忘れて生きられれば楽なのに…
そういった処理が少し苦手な私は、それを記憶の引き出しから引っ張り出し広げてしまう。
今度仕舞う時は、二度と出せないずっと奥の場所に押し込んでしまえば良いのに、また出せる場所に仕舞ってしまう。
闘って生きるのは難しい。強く生きるのも難しい。楽に生きるのも難しい。
でも…
逃げて生きるのはもっと難しい。
逃げても必ず追いつかれる。
そして、同じ闘いが襲いくる。
一切を止めてしまおうと考えた時もあるけれど、自分を止める事はもっと難しい。
闇を弄って夢中で過ごした十代の後半の頃、私は、私を救ってくれた一匹の薄汚れた猫に出会う。
私が初めて心を許し、癒され、大切なことは何かを教えてくれた生涯で一匹目の猫の存在。
私の猫への崇拝に近い威厳はここが始まりだ。
彼がいたからあの時期をやり過ごせたのだ。
一緒に生きられたのは、たった7年の歳月だったけれど、彼の強く逞しい生き様は今でも私を支え続け、どんなにツラくても『生きる』をする為の勇気になっている。
小さな一匹の雄猫に何が教えられるものかと思われるかもしれないが、私を信頼し、無償の愛情を授けてくれるその存在に、どれだけ助けられたことか分からない。
どれだけ生かされてきたか分からない。
だから、無力で微力でも彼の仲間を…猫を救いたくて過ごしてきた。
その考えは揺るぐことなくこの先もずっと持ち続けて行くに違いない。
それが、私が存在し、生きる理由。
記事を読むにあたり、親という存在が絶対的な方や、複雑で様々な家庭環境の方におかれましても、不快以外の何ものでもないと思うし、気軽な気持ちで覗いたのにこんなディープで重く理解不能な記事を読ませられたのではたまったもんじゃないと思った方もおられると思います。
内容があまりにも異質過ぎてしまう為、限定にしようとも考えました。
ですが、良くも悪くも自分の軌跡を書き殴り、再認識し、その部分を敢えて晒すことで自分への勇みや前進のきっかけが掴める気もしたのです。
そして、いつも私の拙い記事を読みに来ていただいてる方へは、こんな事を書きましたが、私は元気です。
いい年をして脆く、未熟な私はいつも奇妙な爆弾記事を投下してしまいすみません。
そして、ここまで読み進んで下さった全ての方へ、お付き合い頂きありがとうございます。
感謝です。
そして、今後とも宜しくお願い致します。