私はファザコンだ…
説明もつけずこれだけでは語弊があるかもしれない。
自分の父親に対してということではなく、父親という存在に対しての強い理想や憧れ、欲求…
という意味でのファザコン…
父は私が幼い頃から暴力を振るう人だった…
私が何か悪い事をして叱るという事ではなく、自分のタイミング…つまり虫の居所、気分で振るうのだ。
まだ幼い私が部屋の隅から隅に転がる程叩く。
そのたどり着いた隅で身を縮めて防御体制を取る…。
それは自然と身についた行動。
立ち上がれば蹴られる。
蹴られれば痣が出来る。
痣が出来れば友達に聞かれる…
聞かれても話せない。
小学生の頃、階段から引きずり下ろされた事があった。
その日の父は酷く機嫌が悪いのは分かっていたのに、あまりにも理不尽な物言いが私には辛抱ならず、つい睨みつけてしまった。
その結果両方の腿に広範囲に及ぶ痣が出来た。
確か夏だったからプールの授業を何度も休まなくてはならず、とても理由に困った事を覚えている。
高学年になると知恵がつき、暴力を振るわれそうになると、母が抑えているすきを見て裸足でも何でもとにかく家から飛び出し逃げた。
そのうちの何度かは雨が降る日だったり、嵐の日だったり…
裸足で雨の降る中、途方も無く佇み、父のほとぼりが冷めて家に戻るチャンスをひたすら待つ。
なぜ私のお父さんはああなのだろう…
当たり前の疑問を頭の中で繰り返す。
答えなんか出ない。
ずぶ濡れで裸足の子供を通行人が怪訝そうに見る。
子供心にも何でも無いよう装い、靴を探すような仕草をしてその場をやり過ごす。
そんな事をしている自分が滑稽で、情けなくて、虚しくて涙が出た。
泣けばますます自分を装う事が難しく悪循環になり、仕舞にはどうでもよくなって奇妙な強気を纏って家に戻る。
いつもの事で殴るタイミングを失った父は睨むだけでもう暴力は振るわない。
母という人は、さほど悪気も無くあまり頓着しない人で、良く言えばおおらか、悪く言えば無神経。
社会的知識が乏しかったせいか、庇いはするが離婚という選択肢はなかったようだ。
やっと離婚したのは、そのだいぶ後の事。
やがて、それだけ続いた暴力も私が中学生になった頃にはピタリと止んだ。
どうやら知恵も体力的にも叶わなくなってきたと思ってのようだった。
だからと言って、私と父との関係は良好になるはずもなく、むしろ悪化し続け過ごした。
そんな父も、今から8年程前に亡くなってしまった。
亡くなる一年前には離婚も成立していた。
私は父の臨終には間に合なかった…
でも、本当は違う。
間に合わせなかったのだ…。
普通に考えたらとんでもない娘かもしれない…
でも、言い訳させてもらえるならば、悲しみとして自分の中に父を刻まないためのささやかな復讐だったような気がする。
『そちらの暮らしは如何ですか』
『あの頃のように身を滅ぼす程お酒を呑んでいませんか』
小さな頃の、ワクワクするような父との思い出が一つだけある。
父が私をバイクに乗せてくれた事があった。
前に跨ったせいで少し怖くて時々後ろを向き父を見上げると、優しい笑顔で楽しいかと聞くから力強く頷いた。
私はフワフワするスピード感にドキドキしながら父の笑顔に安心感を得た記憶がある。
今思えばたった一度だけ父娘として接する事が出来たような瞬間。
当時の父の年齢よりは少し年を重ねた私だけれど、今ならもっと歩み寄れただろうか…
親と言うのは偉大で、大人らしくて当然だろうと思っていたのに、その頃の親の年になっても自分はちっともオトナなんかじゃない。
親だろうがなんだろうが、つまりは人間であって、赤ん坊のように泣く事もあれば、不安だって沢山あって、自分が抱いていた大人はさほどオトナじゃないと気付かされる…。
父も弱い人だったのだ…
その苦しみや、不安も、今なら少しは理解出来たかもしれない…と、ふと思う。
そんな環境にありながらも、幸い私は愛おしい存在を歪んだ愛し方はしない人間になれた。
愛おしいものは素直に愛おしい…。
感受性が人一倍強いかもしれないが、愛し方が分からない人間に育たなかった事だけは感謝している。
ここのところ、ずっともやもやとしていた感情を一気に出してしまった。
読まれた方に理解不能と思われても仕方ないかもしれないと覚悟しての公開。
でも、何だか少しすっきり。
そして…今、初めての
お父さん、ありがとう。
父の日が近いから言ってみた。
説明もつけずこれだけでは語弊があるかもしれない。
自分の父親に対してということではなく、父親という存在に対しての強い理想や憧れ、欲求…
という意味でのファザコン…
父は私が幼い頃から暴力を振るう人だった…
私が何か悪い事をして叱るという事ではなく、自分のタイミング…つまり虫の居所、気分で振るうのだ。
まだ幼い私が部屋の隅から隅に転がる程叩く。
そのたどり着いた隅で身を縮めて防御体制を取る…。
それは自然と身についた行動。
立ち上がれば蹴られる。
蹴られれば痣が出来る。
痣が出来れば友達に聞かれる…
聞かれても話せない。
小学生の頃、階段から引きずり下ろされた事があった。
その日の父は酷く機嫌が悪いのは分かっていたのに、あまりにも理不尽な物言いが私には辛抱ならず、つい睨みつけてしまった。
その結果両方の腿に広範囲に及ぶ痣が出来た。
確か夏だったからプールの授業を何度も休まなくてはならず、とても理由に困った事を覚えている。
高学年になると知恵がつき、暴力を振るわれそうになると、母が抑えているすきを見て裸足でも何でもとにかく家から飛び出し逃げた。
そのうちの何度かは雨が降る日だったり、嵐の日だったり…
裸足で雨の降る中、途方も無く佇み、父のほとぼりが冷めて家に戻るチャンスをひたすら待つ。
なぜ私のお父さんはああなのだろう…
当たり前の疑問を頭の中で繰り返す。
答えなんか出ない。
ずぶ濡れで裸足の子供を通行人が怪訝そうに見る。
子供心にも何でも無いよう装い、靴を探すような仕草をしてその場をやり過ごす。
そんな事をしている自分が滑稽で、情けなくて、虚しくて涙が出た。
泣けばますます自分を装う事が難しく悪循環になり、仕舞にはどうでもよくなって奇妙な強気を纏って家に戻る。
いつもの事で殴るタイミングを失った父は睨むだけでもう暴力は振るわない。
母という人は、さほど悪気も無くあまり頓着しない人で、良く言えばおおらか、悪く言えば無神経。
社会的知識が乏しかったせいか、庇いはするが離婚という選択肢はなかったようだ。
やっと離婚したのは、そのだいぶ後の事。
やがて、それだけ続いた暴力も私が中学生になった頃にはピタリと止んだ。
どうやら知恵も体力的にも叶わなくなってきたと思ってのようだった。
だからと言って、私と父との関係は良好になるはずもなく、むしろ悪化し続け過ごした。
そんな父も、今から8年程前に亡くなってしまった。
亡くなる一年前には離婚も成立していた。
私は父の臨終には間に合なかった…
でも、本当は違う。
間に合わせなかったのだ…。
普通に考えたらとんでもない娘かもしれない…
でも、言い訳させてもらえるならば、悲しみとして自分の中に父を刻まないためのささやかな復讐だったような気がする。
『そちらの暮らしは如何ですか』
『あの頃のように身を滅ぼす程お酒を呑んでいませんか』
小さな頃の、ワクワクするような父との思い出が一つだけある。
父が私をバイクに乗せてくれた事があった。
前に跨ったせいで少し怖くて時々後ろを向き父を見上げると、優しい笑顔で楽しいかと聞くから力強く頷いた。
私はフワフワするスピード感にドキドキしながら父の笑顔に安心感を得た記憶がある。
今思えばたった一度だけ父娘として接する事が出来たような瞬間。
当時の父の年齢よりは少し年を重ねた私だけれど、今ならもっと歩み寄れただろうか…
親と言うのは偉大で、大人らしくて当然だろうと思っていたのに、その頃の親の年になっても自分はちっともオトナなんかじゃない。
親だろうがなんだろうが、つまりは人間であって、赤ん坊のように泣く事もあれば、不安だって沢山あって、自分が抱いていた大人はさほどオトナじゃないと気付かされる…。
父も弱い人だったのだ…
その苦しみや、不安も、今なら少しは理解出来たかもしれない…と、ふと思う。
そんな環境にありながらも、幸い私は愛おしい存在を歪んだ愛し方はしない人間になれた。
愛おしいものは素直に愛おしい…。
感受性が人一倍強いかもしれないが、愛し方が分からない人間に育たなかった事だけは感謝している。
ここのところ、ずっともやもやとしていた感情を一気に出してしまった。
読まれた方に理解不能と思われても仕方ないかもしれないと覚悟しての公開。
でも、何だか少しすっきり。
そして…今、初めての
お父さん、ありがとう。
父の日が近いから言ってみた。