こんばんは、土地です。
「ポン」によって、私が
仏教に少し心が近づいた話を
先日致しました🙏
じつは、
そこには裏話しと言うか
別の気持ちもありました。
今日は、そのお話をしたいと思います。
昔から私は、自分で言うのもなんですが
とても素直であり臆病な性格ゆえの
なかなかに頑固な一面がありました。
この性格のおかげで
私は、壺や印鑑など買う事なく
悪い道にも惑わされる事なく
生きてこれたのですが(笑)
話を戻します🙏
お坊さんに疑問を投げかけ、
答えを頂いた時に
私は、あることを思いました。
「阿弥陀様は大切な存在です。」
と言う言葉に
(あ、宗教的やなぁ)
(本当にそう思ってるんかな?)
その時の私は、大変失礼極まりないですが
そう言う思いがよぎりました。
いやまてまて、お寺さんにきて
お坊さんの話しを聴いて
「宗教的やなぁって、当たり前やろが!
何を求めてお寺に来てるんだ」と言う話。
でも、宗教が身近にない私としては
少し驚きと畏怖の念が生まれました。
お寺さんって、ほぼ観光寺院しか
行く事がなかったし......
しかもその上
「え?勧誘されちゃう?」と
思ってしまいました(笑)
まあ、絶対的に本当失礼ですよね。
その時の私は、構えて
ガチガチになっていたと思います。
しかし、現実はそうではありませんでした。
全く勧誘されませんでした(笑)
逆に「え?」ってなるくらい
「私なんて、貧乏だし、頭も良くないし
美人でもないし、勧誘する価値もないのかな」
とか
自分の筋書き通りに進まない事に
拍子抜けと言うか
『あぁ、ここも仲間に入れないのか』
と逆に少し卑屈に寂しくなったくらいでした。
私の筋書きと言うか
宗教のイメージは
失礼ですが正直に言うと
『あなたも私も、みんな一緒に
幸せになりましょう!
さあ、祈りましょう』
『宗教って誰でもいれてくれるんちゃうん』
と言う......
(なんかの漫画の見過ぎです、ハイ)
でも、今思うと
そうではありません。
迷いに迷って、ゴリゴリ五里霧中で
救いを求めてたどり着いた場所でもあり
「居場所」を求めていた私でしたが......
今思うと、私が[拒否]していたのかなと。
その点で、私と温度感があったんだなと
今は、思います。
もし、あの時
「祈ったら、救われる」と言われたら
私はきっと、後ずさっていたと言います。
「祈る事で救われるなら
なんで世界は平和にならないの」とか
言ってたと思います(笑)
だけど、言われなかった。
逆にそれが
私が求めていた居場所に近かったんだなと。
「ここにいたら、仲間になれば救われる」
ではなく
「あなたのままで、ここにいていいよ
いたくないなら、それでもいいよ
いたくなったら、いつでもきてね
いつでもまってるよ」
そんな感じです。
だから、私はまた行きました。
仲間など、しばりががなくても
こんな私でも受け入れてもらえるんだと
感じたから。
また、会いたいと自分が思えたから。
とても、有り難い出会いでした。
コロナ禍で、その集まりは一旦中止に
なりましたが、また、再開されたら
私は、行きたいと思っています。
では、今日はこの辺で。
最後まで、お付き合いくださり
ありがとうございます。
南無阿弥陀仏🙏