おはようございます。


土地です。

最近、仕事もプライベートも澱んでいて

すごく疲れてます。


昨日、ある人と話していて

解らなくなった話です。


いわゆる痴話喧嘩なのかもしれません


その方は仰る


阿弥陀様は自分の前に土下座をして

私にお前を救わせてくれと乞うている

それを踏みつけて

見ようとしていないと

言われた


私に話している、あなたはまた

私を踏みつけて話している

そう感じて止まなかった


何の解決もなく

盲目になれと言うのか

私はそう捉えてしまった


解決したい

自分の感情があるうちは

話が聴こえないのか


ただ、私は阿弥陀様ではなく

あなたと話している


今、なぜ阿弥陀様の話をするのか

私には理解ができていない

準備ができていない

私は、阿弥陀様の話をしていない

そこに至っていないのに

なぜ、その話をするのか

そこまでして、話をすり替えたいのかと

私には感じた


あなたが、私を救おうとしてくれていても

あなたとの答えを求めている私は

救われていない

あなたが私を救おうとする

その優しさが

私には棘と感じてしまう


私は言った


私を囲む全てのものに阿弥陀様がいて

私を救おうとしてくれているのではないのか


その人は言った


それは理想論


解らない解ってもらえていない

解らないふりをしているのか解らないのか


あなたが阿弥陀様の言葉を

私に伝えている

そのあなたの言葉が阿弥陀様ではないのか

例えば

足元の花が美しいと思う

その花は阿弥陀様の姿ではないのか

何かに救われたと感じた時

それは、阿弥陀様の救いではないのか


だとしたら

私が理解できないのもまた

阿弥陀様の計らいではないのか

阿弥陀様の言葉を伝えている

あなたは自分を見つめはしないのか

あなたが救われていたら

私に伝わるのではないか

これは傲慢なのか


私が何度も繰り返し聴く法話に

「私が話しているのではないんですよ

私の口を通して阿弥陀様が話している」

と言う方がいらした。


その言葉が頭をよぎる。


わかっているようなわからないような

解りたいようでまだ解りたく無いのか

本当に解っていないのか


まだ、私は私なんだろう


解らない事を受け入れるには

まだ私の度量は足りないと感じる


信じられない私は

私が悪いのかと感じる沼の中