いつも読んでいただいて感謝します。

弟が
もう打つ手がないと知った時
とにかく今を生き延びれば
新しい治療法
新しい薬ができるのでは?

そんな希望をかすかに持ちました。


どんな治療法にも
どんな治療薬にも
動物実験は欠かせないのに

あのころの私は
弟がホスピスに移ってもなお
足掻いていたのです。
希望を探していたのです。

        今頃?一輪だけ開花しました    

治験というのがありますね。
新薬というのは
初めは動物実験。
そして治験を募って
人に効果があるかを試すのです。

この時に
人は自分の意思で
治験に参加します。

動物たちは意思を伝えられません。
伝えていても
人間には分からない。
分かろうとはしません。
否応なく実験動物とされてしまいます。


いつだったか
他の犬に輸血するための
供血犬が動物病院に飼われていて
檻の中でひたすら
他の犬のために血を抜かれていると
書かれているのを読みました。

そんなことが本当にあるのか
獣医師が
動物にそんなことが出来るのか?
ものすごくショックを受けました。

供血のためだけに
生かされている犬の命。


人は献血をします。
私も若い頃は何度も献血をしました。

私の意思です。
私のA型の血が
誰かの役に立つ。
そう思って見知らぬ人の
病気や怪我が治りますようにと
献血をしていたのです。

供血を呼びかける
ブログを読むと
これから手術をしなければ
命の危機にある
犬や猫のことを思います。

そして
人と違って
【  供血⠀】に同意する意思を持たない
犬や猫たちを思います。

お互い助け合い。
犬や猫の世界も
そうだとは思いますが
犬や猫の意思は存在しないのです。


弟は
最後の二ヶ月を
緩和病棟で過ごし

「誕生日を迎えられるかな·····」と
言いながら
旅立ってしまいました。

12月になると
また命日が巡ってきます。
この季節は
緩和病棟へ通っていた日々を
思い出して胸がざわつきます。


子猫の姿は見つかりません。
ご飯を出してくださっている方から
まだ連絡はありません。
お母さん猫は
お世話してくださってる方に
徐々に慣れています。

犬の方ですが
本来の飼い主の高齢者さん。
介護認定を申請されたそうです。

帰ってきても
犬や猫のお世話は難しいと思います。
どんな判断をされるのでしょうか。

近くに住む人からの
情報をいただいています。

どんな判断をされるかが
分かったら
私たちも進む道を決めなくてはいけません。


【⠀マンションに住みついた
       野良猫がいます。
       お世話する人は
       「一代限りの命だから…」
       そう言いますが嫌でたまりません。
       どこかへ行って欲しいです。】

そんな発言を新聞で読みました。
それに対する答えは
【⠀あなたの子どもが
       学校で「きらいだからあっちへ行って」
       そう言われたらどうでしょう。
       排除するということは
       人も動物もあってはいけないことです。】

私の答えも同じです。

犬も猫も 
そして  いろんな動物が
自分の命と向き合って生きています。

誰かのための命ではありません。
誰かを癒すための命でもありません。
「あっちへ行け」と言われる命など
ひとつもありません。


    アインは消化機能が弱ってきてます。
    それでも、ふやかしたフードより
     カリカリを好みます。
     好きな物を好きなように
     そして好きなだけ生きてくれたらいいよ·····
     あなたの命なんだからね。