いつも読んでいただいて感謝します。


懐かしい写真が出てきました。

左は先代犬のナナ
右はご近所さんの柴犬さん。

柴犬さんが亡くなるまでの
数年間
こうやって散歩に連れていくことが
数多くありました。


この柴犬さんは
外飼いでした。

いつも道筋から見えて
木の小さな犬小屋に
繋がれていました。

   りーくんの白ソックス

ある時
ナナの夜遅くの散歩のとき
雨戸は全て閉まっていて
人の気配はないのに
柴犬さんはいるのです。

ポツンと繋がれているのです。

翌朝もお昼になっても
雨戸は開きません。

心配で毎日見に行きました。
数日たって
雨戸が開いたときの
嬉しかったこと!

  こたつの中でりーくんと
あとで
旅行に行っていたこと。
その間は
一日に一度だけ
排泄物の片付けと
フードを入れに
知り合いの人が来ていたことを知りました。


『旅行の時とか
 私に散歩とフードの補充を
 任せてくれませんか?』

そうお願いして
日帰りでも遅い日などは
散歩に連れて行くようになりました。

『助かるわ!』と言われましたが
その家の人たちを助けているつもりはなく
ただただ
この柴犬さんが
何日もポツンと
犬小屋のそばにいることが
私にはたまらなかったのです。


この柴犬さんは
外飼いでしたが
フードもきちんと考えられたものを
食べていました。
在宅のときは
散歩もしていました。

決して
放ったらかしではありませんでした。

けれども
家族の一員としては
見てもらってなかったし
ご家族は番犬と言ってました。
この柴犬さんが
ものすごく愛されているとは
感じませんでした。
旅行中に具合が悪くなっても
電話しないで!と言われてました。

それが
私がどうしても
この柴犬さんに関わっていきたいと
思った理由です。


❄❄❄❄❄
私は泣き虫で猫好きすぎて
あまり行動はできませんが、自分の役割はきっと決まっていて

冬の北海道
私に出逢った子たちは必ず守りますよ
パトロール頑張ります。

❄❄❄❄❄

『猫好きすぎて』
この気持ちなのです。

『猫が好き』『犬が好き』
その言葉よりももっと
『好きすぎて』苦しくなるのです。

だから…見捨てることなどできない。
寒くても雪の上に
足跡が無いかをパトロールするのです。

お世話してるよ。
散歩もしてる。
フードもきちんとあげている。

それだけではない
もっと胸を打つ気持ちです。
私たちが
犬や猫に寄せる気持ちは
『好きすぎる』思いなのです。

  アインがどこでも寝ても温かいように!
何度読んでも
怒りに震え
怒りのあまり涙がこぼれました。

【 殺処分推進派
  東大准教授 石田氏。】

ボランティアの狩猟家に
猫をどんどん撃ってもらえばいい。
(奄美など問題化しているノネコたち)
誰にも内緒でやれば
批判もされない。

昔は猟師は要らなくなった猟犬を
淘汰してきた。

猫も生まれたら海へ捨てていた。
そうやって淘汰することを
動物愛護団体は【悪】としている。
  (要約させて頂きました。)

要らなくなった猟犬を
山へ置き去りにする。
木に括り付けて…
足を猟銃で撃って…

それは淘汰というのですか?
ただの殺戮です。

海へ生まれた子猫を捨てること
猟銃で撃つこと

淘汰という言葉。
自然の淘汰ではありません。
人が生き物を淘汰する、管理する。
それは【正しい】ことなのですか?

人が増え過ぎたら
この人は自分の子供でも
海へ投げ込むのでしょうか。