いつも読んでいただいて感謝します。

5月になると
思い出すことがあります。


30代後半
私は働き始めたのですが

たまたま実家の隣の集落の人がいて
とても心強く思いました。

ところが
春が来て その人は
休みがちになり

「 休みます 」
の電話を
私は毎朝 聞くことになりました。


その度に
「 具合はいかがですか?」

返事は
「 大丈夫です。
     明日は行きます。」

その繰り返しに
何だか
……  繁忙期なのに  ……と
モヤモヤしていました。


段々と毎朝の電話に
私は
そっけなくなりました。

そんな日々が続き
ある朝  
電話は鳴らなかったのです。

  散歩の途中  疲れちゃったね!

あれから何十年もたつけれど
この季節が来ると
思い出します。

歓迎会の席で
にこやかに
笑って話をした人です。


人のこころは
とても細やかです。
そして時々
人のこころは悲鳴をあげます。

   朝陽が昇ります   とても好きな時間です

動物のこころは
どうでしょう。

私の叔父は
『てつ』という犬と
暮らしていましたが

ある日 叔父は
突然 亡くなってしまいました。

告別式の時
叔父の息子(従兄弟)が
「 片付けが終わったら
     連れて帰るよ 」

従兄弟も
とても犬が好きだったのです。

だから
私は安心して帰ることができました。

   スリーショット  ムギがアインにもたれています

四十九日に集まったとき
「 ワンちゃんは元気?」
と聞くと

お葬式の後
『てつ』は
みるみる元気が無くなり

こころが
閉じていくようだったと。

散歩に よく行った
河原へ連れていっても
遊ぶこともなく

食欲もなくなり

明日は連れて帰るという日に
息を引き取ったというのです。


叔父さんが連れに来たのかな。
叔父さんを追いかけたのかな。

私たちはそう話したけれど

老犬でしたから
寿命が来ただけだったのかもしれません。

   
それでも
叔父さんと『てつ』を
知る人たちは

『てつ』が
後を追ったのではないかと
話しました。

動物は自ら
命を絶ちません。

けれども
寂しさと
心細さが
『てつ』から
生きる気力を
奪ったような気がします。


毎朝
「休みます。」
そう電話を掛けてきた
その人の
お葬式に行ったとき

奥さんと
まだ小学生の子どもたちが
うなだれていた姿を
今もはっきりと
覚えています。

心療内科へ長い間
通っていたことを
その時
初めて聞きました。

  空が明るくなってきました

誰もが
自分のこころは知っていても
人のこころは分かりません。

動物たちは
それぞれのこころを
どうやって
伝えるのでしょう。


犬や猫にも
こころの病気もあるし
それが
自傷行為にあらわれることも
あるそうです。

繁殖場の子達が
表情を失くすのも

動物園のコンクリートの中
仲間も居ずに
一人っきりの動物が
壁に向かって座り続けるのも

こころが
悲鳴をあげているのだとしたら…


助けてあげられずに
ごめんね。

野垂れ死んだ野良猫や
殺処分に向かう犬たちに

『 次に生まれてくるときは
     優しい人のもとへ  』

そう言うよりも

『 次は人間のいない星に
     生まれてきてね 』

『 神様の側にいるなら
     再び降りて来なくて良いよ 。』

私はそう言って
あげたい気がするのです。

   木漏れ陽   こころにも射しますように

毎日電話を受けていた私。

今なら
何か出来たでしょうか。
それとも……

  
     手の上に緑の蜘蛛。
  火野正平さんの「こころ旅」
     『  美しいよね。
           生きているんだよね。』
     『  生きていますね 。』

     いつもの優しい会話です。

  自然のもたらす美しい色、美しい姿。
  息絶えるその日まで……