音楽は君自身の経験であり、君の思想であり、知恵なのだ。もし君が真の生活を送らなければ、君の楽器は何も真実の響きを持たないだろう。 by チャーリー・パーカー』


パーカーの伝記の最初のページに書かれているこの言葉を目にした時、「なんでこんな当たり前の事が大事な言葉みたいに書かれているんだろう?」と中学2年の僕は疑問に思った。


当時はBill EvansやArt Pepper,Chick CoreaのReturn to Forever(ジャケットがカモメのやつ),Lounge Lizards,Monk,Coltrane,Billie Holiday,Carmen Mcrae...なんかをよく聴いていて、彼等の歓びや悲しみ、人生経験や美意識が僕の中に入り込んでくる感覚をいつでも何度でも体験する事が出来た。

だからパーカーのこの言葉を目にしても「そうじゃないジャズってあるのかな?」と不思議に思った。


でも僕がその頃聴いていた音楽は本当に特別なものだったんだなと後になって理解した。


中学の時に地元の仙台にMichaelBreackerが訪れた。よく知らないミュージシャンだったけれど、雑誌などでコルトレーンの再来!現代最高峰といった感じで取り上げられていたので、"弟子にして下さい"という内容の手紙を英語と日本語で書いて、彼のコンサートを聴きに行った。

コンサートはすごく楽しかった。けれど感動は無かった。結局出待ちしても場所が悪かったのか現れなかった。


“カッコいいけどなんかサーカスみたいだったな。仙台のような小さな町だから練習みたいな演奏してったのかな"

そんな気持ちで家に帰った。


それで高校2年から3年に上がる時の春休みを利用してジャズの本場NewYorkにジャズを聴きに行くことにした。すごくワクワクしていた。どんな体験が出来るんだろう?世界がひっくり返るかもしれない!


NewYorkに着いた晩に先ずKenny Garrettを聴きに行った。そして滞在した1週間の間にAntonio Hart,Vincent Herring,Ravi Coltraneを聴きに行った。どれも凄くカッコよかった!スゲー!って感じだった。

けれど心が揺さぶられることは無かった。滞在中に訪れたグッゲンハイム美術館で観たカンディンスキーの絵には、とても感動してドキドキした。何時間でも観ていられる感じだった。


なんだろ?ジャズが好きじゃなくなったのかな?


そんな事はなかった。家に帰り再び部屋でコルトレーンを聴けば、とても感動したし、アートペッパーはいつ聴いても胸が締め付けられた。


大学2年の時に厚生年金会館で聴いたKeithJarrettTrioは心から素晴らしいと思えた。6,7年前にオーチャードホールで聴いた時もKeithは素晴らしかった。しかし次の日に聴いた現代NewYork最高峰のSax奏者MarkTunerとBenVanGelderは凄いけど何も感じなかった。

仮に感動があったとしても、それはなんというか新しいiPhoneなんかが出て「へー!こんな事も出来るようになったんだ!すごい!」みたいな種類の感動だった。iPhoneと同じで、もっとすごい人が出て来れば、きっとそっちに入れ替わってしまうだけだ。


Michael BreackerにしてもNewYorkで聴いたプレイヤーにしても同じようなもので、皆入れ替え可能な感じだった。

Chris Potterもめちゃくちゃ強力で、カッコよかったけれど、時々ボディービルディングのコンテスト見ているようで、すごいなーとは思うけどなんの感動もなかった。


・システムばかりが目立ってしまうジャズ

・尊敬するプレイヤーに対するオマージュで終始してしまうジャズ


『あなたは誰?何に感動してどういう事に傷ついて、どんな人々を愛してきて、どんな人に愛されたの?』

それらが全く伝わってこないのばっかりだった、。


大学に入って周りを見渡しても、プロになりたい人はいても、音楽家として人々に何を伝えたいか見えてくる人は1人もいなかった。


日本だとこの人がトップだよ!と教えてもらった人達の演奏も色々聴いたけど、感動を覚えさせてくれる人はほんの一握りで、人間的にも音楽的にもガッカリする人ばかりだった。


"人間性や精神性が結び付いてると感じたから、クリスチャンになる事をやめて、この音楽を選んだのに、あの感覚は間違いだったのだろうか?"

大学に入ってからの最初の挫折はこれだった。

だったら音楽する意味ないじゃん。


けれど色んな経験を積んで、色んな角度から人やものを見れるようになり、今の歳になって、自分は間違っていなかったのだと、よくわかる。

やはり素晴らしい芸術家は人間力が高い。

一見すると粗暴で無神経に見える人の中に、品性と知性があったり、礼儀正しく思いやりのあるように見える人が自己中心的で想像力が欠如していたり。

芸術を見極める為には人を見えるようになる必要があるようだ。

音楽家に対する評価は難しい。


・教育やシステムを駆使した行政官僚制ジャズ

・室内に篭って練習し続けただけのボディービルジャズ

・ビートルズやエルヴィス・プレスリーの営業用モノマネコピーバンドのように、ひたすら歴史上のプレイヤーのオマージュに終始するコスプレジャズ

人々を一時楽しませるには十分だけれど、どれも没人格化している。



ジャズを理解する上でシステムも、歴史も、部屋に篭って練習に励むことも、どれも欠けてはならない。けれどあなたは誰?という問いかけに、あなたが答えられないのであれば、その音楽をあなた自身が演奏する事にどれだけの価値があるのだろう⁇


色々な音楽の形があり、伝統芸能等ももちろんあるが、少なくともあのパーカーが『音楽はあなたの人生経験であり、あなたの思想であり、あなたの知恵なのだ。もし君が真の生活を送らなければ、君の楽器は何も真実の響きを持たないだろう』と語っている。

中学の頃は当たり前のこととしか感じなかったけれど、パーカーの言う事を実践する事は、他人や自分を信じる勇気を持たないと出来ない、とても難しい事だったんですね。


最後にKeith Jarrettの言葉を

『音楽とは、自分が何者かを音に描くこと』

『音楽を音楽から学ぶなんて、赤ちゃんから赤ちゃんが産まれると信じているようなものだ』