階段を上る時、階段を降りることを考えながら上がる人、多分少ないような感じる。
上がる時は無我夢中で、そして優越感にひたり、承認欲求の塊になっている。
私はそうだった。
人を人と思わず、自我を通していた。
多くの人が私の周りに集まってきた。
楽しい毎日だった。
楽しい毎日見えていた。
やがて歪みが出てくる。
人が離れていくと同時に階段も降り始めた。
階段を降りるときの悔しさ、情けなさ、人に見られたくない、自分をなくしてしまいたい、そんな気持ちだけで階段を降りた。
結果が全てではない、今ようやく気づいた。
どう生きたのか、生き方を問われる時代。
結果が良ければ全てが良い。
そんな時代はもう既に終わっていた。
私は多くの間違いを重ね、多くの人を傷つけた。それを取り返すことはできない。
ただできることがあれば、今これから未来関わる人たちに、心を込めて向き合うこと。
ただ、それが贖罪にならない事は充分わかってる。
償いの日々。