言わずと知れたCAPCOMの人気ハンティングアクションゲームだ。
プレイヤーは狩人となって様々なフィールドに赴き、一人で、または複数人で、知恵と勇気の限りをつくして巨大なモンスターを狩る。シンプルに言ってしまえばただそれだけのゲームである。

現在このモンスターハンターシリーズ(以下MHと表記する)の最新作、「モンスターハンタークロス」(以下MHX)の情報が続々と発表され、2015年11月28日の発売が迫っている。
そんな中、MHXの最新PVなどを見て落胆している旧MHファンは多いのではないだろうか。そしてその理由が理解出来ない現MHファンも数多くいるであろう。
かく言う私も、MHXの最新情報を見る度に落胆している老害の一人である。

端的に言ってしまえば、私たち旧ファン(私と同意見の方がいるという希望的観測が前提の表現だが)は「昔はよかった、しかし今のMHは変わってしまった」と言うのである。
そして、旧ファンがMHXの何に不満を感現MHファンにはなかなか理解出来ない。それは恐らく、「我々がMHのどこに魅力を感じているか」という問題に大きく関わっているのではないだろうか。
これから私はMHという作品の持っていた魅力と、それがどのように変わってしまったかについて言及したい。
賢明な読者諸君には言うまでもないが、あくまでもこれは私個人の意見・感想に過ぎない。ただ、この記事が少しでも、諸君が「ゲームを楽しむ」とはどういうことかについて考えるきっかけとなれば幸いと願って、筆を進める。
結論から言おう。
私がMHに感じていた最大の魅力は「リアリティ」だ。昨今のMHは「リアリティ」を失ってしまった。
故に私は現在のMH(個人的にはスラッシュアックスの登場した第三世代からして既に魅力が失われつつあると感じていた)、そして最新作MHXに全くと言っていいほど魅力を感じない。
読者の方は疑問に思ったことだろう。
冒頭でも「MHとはモンスターを狩るゲームだ」というようなことを述べておきながら、その魅力が「リアリティ」とは。支離滅裂、本末転倒、意味不明である。しかしそんなことは筆者も承知の上で書いている。
では筆者が示した「MHの持っていたリアリティ」とは一体何なのか、という事からまず明らかにしていこう。
至極当然のことだがMHの世界に存在する「モンスター」は現実には存在しない。しかも彼らは何メートルもある巨体で空を飛び回ったり、地中を泳いだり、それどころか口から火を吹いたり電撃を迸らせたり、リアリティなどとはかけ離れた存在のように思える。

MHに限らず様々なゲームに登場する「モンスター」たちは空想の産物で、その点においてMHに登場するモンスターとその他のゲームのモンスターとの間に差はない。しかし、両者の間には決定的な違いが一つあった。それは一体何か。
MHのモンスターたちは「魔物」ではなく「生物」として描かれていたことだ。
彼らは魔界から人類を滅ぼすために魔王に送り出されたのではなく、魔法使いに禁断の錬金術で生み出されたものでもない。大自然に生き、食事をして、睡眠をとり、生殖して繁殖する「生物」なのだ。
弱肉強食の食物連鎖の中を生き抜き、過酷な環境の中で適応し、進化を繰り返してきた圧倒的な大自然の産物として、彼らは確かに息づいていた。
私はそこに抑え難い興奮を感じた。
忘れもしない、私はMHに「ティガレックス」の登場した当時震えるような感動を覚えたものだ。

ティガレックスはMHに登場するモンスターの一種で、厳密には「飛竜種」と呼ばれる「空を飛ぶドラゴン」の一種なのだが、ティガレックスは自ら羽ばたいて空を飛ぶことはない(短い距離を滑空することはできるが)。それはティガレックスが「原始的な飛竜」だからだ。
進化の進んだ他の飛竜と違ってティガレックスの翼は未発達である。代わりに翼は前足として強靭に発達しており、そのたくましい四肢でティガレックスは陸を縦横無尽に駆けるのだ。
この生物学的・進化論的「であるかのような」説明付けとティガレックスの位置付けに私はまんまと「騙された」のである。もちろんこうした言葉による説明のみならず、ゲームならではの映像表現と演出にもよるのだろう。それらから成るモンスターハンターの「まるで実在するかのような」世界観は、私の心を見事に鷲掴みにしたのである。
もう一つ、MHの「リアリティ」を際立たせたものの中で重要なのは「ハンターの扱う武器と操作性」である。

MHでハンター、つまりプレイヤーがモンスターを狩猟するために用いることができた武器は当初、大剣やハンマー、ボウガンなど原始的なものであった。他のファンタジー世界でよくあるようにハンターは魔法を使ったりすることはできない。それどころか大剣など身の丈程もある武器を持つと構えて走ることさえままならず、のそりのそりと歩いて移動することしかできない。武器を振る動きも極めて鈍重なものになっていた。
こうしたハンターの武器や操作性から醸し出される「生身の人間であるかのような」存在感の表現はMHの持つ「リアリティ」を構成する重要な要素であった。
だが「そもそもあの大きさの得物を振り回すというだけでリアリティなどないも同然」と言われれば確かに、現実にあの大きさの武器を扱うことは人間には不可能かもしれない。「飲み薬で外傷が回復する時点で魔法と大差はないではないか」と言われればそれもその通りである。
モンスターに関しても、現実的に考えてしまうと生物として存在し得ないものばかりであろう。
このように、MHの作り出す「リアリティ」に反論を打ち立てることは容易である。なぜならそれらは現実にはあり得ない存在なのだから。
しかしそれらはMHに「リアリティ」を感じた我々にとって大した問題ではない。
「現実にはあり得ない」ことは決して「リアリティがない」こととイコールではないのである。
我々に「まるで実在するかのように」感じさせてくれることが重要なのだ。それはかつて、「モンスターを生物として描くこと」や「ハンターの扱う武器や操作性」などから作り出される「世界観」によって達成されていたのだ。
しかし、現在のMHはそういった「リアリティ」を求めた作られ方をしていない。
多彩なアクション性、モンスターのアイディア、そうした事から作り出される「遊びとしての面白さ」を追求して作られているように思える。
それは悪い事ではないのだろう。
皮肉に聞こえるかもしれないが、私がこれまで述べてきたMHの持つ「リアリティ」など気にも止めず、ただただ巨大なモンスター相手に仲間との協力バトルを楽しんできた方々にとって私の見解は空虚なものに思えるだろう。
ただ、少なくとも私は以上のことから、現在のMHには魅力を感じることができなくなってしまった。MHに限らずゲームは新しくなる度変化していくものだが、この変化は私には受け入れ難かった。
私はこの変化を「寂しい」と感じる。
MHには感動的なストーリーもなかった、爽快なアクション性もなかった。そんなものは私からすれば必要なかった。
MHの持つ「リアリティ」はMHだけが持っていた「個性」だった。
現MHファンに「他のゲームと違ってMHのどこが魅力なのか」を問うた時に帰ってくる答えが、私には想像できないのである。
これを最後まで読んでくださった方は一度考えてみて欲しい。
MHに限ることは無い、今あなたが手にしているそのゲームのどこが魅力なのだろう。何が楽しくてそのゲームをプレイしているのだろう。
最後にこれを読んだあなたがこれからもゲームを深く愛してやまないことを祈って、筆を置く。
