1983年5月26日に発生した日本海中部地震から38年が経ちました。
日本海中部地震(にほんかいちゅうぶじしん)は、1983年(昭和58年)5月26日11時59分57秒、秋田県の能代市西方沖80 km(北緯40度21.6分、東経139度4.4分、深さ14 km)の地点で発生した逆断層型の地震である。地震の規模はM7.7(Mw7.7-7.9)。
私は当時まだ生まれていませんが、
私の父が、津波の被害があった男鹿で救助の手伝いをしたそうです。
このとき、秋田県北部の合川南小学校(2012年に合併により閉校)の児童が
ちょうど遠足で男鹿沿岸に来ており、
計13名が津波の犠牲になったニュースが
遺留品の散乱している現場の空撮映像と共に配信され
大きな話題になりました。
母も当時秋田県におり、
揺れのすごさを今でも覚えているとこぼしてました。
東日本大震災を知っている私達には地震が津波を起こす可能性があるとは周知のことで、
あの時なぜ、沿岸で遊んでいた児童を避難させなかったのかと
憤りを感じている人もいるようです。
でも、私の母が言っていたのですが
地震と津波の因果関係が、当時はピンときてなかったようです。
母「むしろ山が崩れたら大変だから、山から離れて海の方に出るべきだと思ってた」
当時のシステムで津波警報が発表されたのは地震発生から14分後であったことと、日本海側に津波は来ないという俗説がまかり通っていたことが人的被害を大きくした。
Wikipediaより(リンク先同上)
合川町は山の奥にあり、水辺と言ったら米代川とか沼。
田んぼの水を引いてる側溝。湧き水。
みんなで海に行けるなんてめちゃくちゃテンション上がることだと思います。
車で山越えて海に出ようとすると、だいぶ距離があって時間がかかりますし。
遠足がどれだけ楽しみだったことか。
経験も、しっかりした情報伝達設備もなかった当時のことを考えるとやるせない気持ちになります。
被害の大きかった青森、秋田、山形以外では
話題になることも少ないかもしれませんが
私達はこの災害を忘れず、後世に教訓と共に語り継いでいくべきだと
この日のニュースを見るたびに感じます。