宿題は「しなくてはならないもの」と捉えた時点で、もう本来の機能を果たせてないと思うんです。

宿題を課す側(先生)は、「学習内容の定着」を目的として提示する場合がほとんどだと思いますし、そうあるべきだと思います。



たまに、こんな風な意図のよく分からない宿題もありますが…



「宿題をやったかどうか」ではなく、
「内容が定着したかどうか」
そのための1手段として、「宿題」があるのではないでしょうか。

もちろん、「結果」ばかり評価すると、ついてこれない生徒たちが一定数存在するのは分かっています。

しかし、安易に実施具合を評価してばかりでは、課される側が「とにかく早く終わらせよう」と考えるのは必然ではないでしょうか。

「やったけど、何の効果もなかった」と徒労に終わらせることは、生徒たちに、とっても失礼だと思います。

学校の先生の中には、「結果」を評価することにマイナスな印象を持たれている、というか恐れている先生がいらっしゃるような気がします。

気持ちは分かります。

今や学習障害(LD)など診断される子どもも少なくありません。そういう子たちが結果ばかり評価されるのは酷なことではないか、という気持ちからだと思います。

「勉強が苦手=ダメな人間」
ではないですよね?
それを大人が強く持ち、かつ基礎学力の定着に責任を持つ必要があると思います。

結果は結果、評価は評価

ある事に対してはいい結果が出せなくても、
別のある事では、周りに認められる。
そういった個性を教えられるのが学校教育の強みではないでしょうか。
塾なんて、最後は勉強の成果でしか評価できないんですから…

話がズレていきそうなので、もとに戻しますが、

要は、
上の人間や保護者へのアリバイ作りのために宿題を出すのはやめましょう
ということです。

大して目的を持たないのであれば、
いっそ無くしてしまっていい。
ただ何となくやらせて、「やることが目的」で空っぽに終わらせることが1番やってはいけないことだと思います。
たまに「宿題は先生との約束だ。だからしてこなくちゃいけない」とおっしゃる先生がいらっしゃいますが、「上の言うことは絶対だー」とワケの分からないままに従う思考停止人間になってしまうのでは?

明確に意図を持った宿題であれば、課される側の理解を得たうえで、提示すればよいと思います。

もう、全然まとまらないので終わる!