私はどちらかと言えば喫煙者なんだけど…
どちらかっていうのは、タバコをやめようって気持ちが強くなってきてて、喫煙者って言い切りたくないってだけなんだけどね。
まぁそんで言いたいのは、タバコに限らず何かに依存している人がいたとして、その人がそこから(依存)から抜け出したいって思ったりするわけだけど、よく言われるのは、その人がある依存した事から抜け出したいって周囲に意思表示をする事がある時に大抵は、やっぱりやめられないとか抜け出せないってなってくと思う。んで結局は周囲に、「お前意思弱いなー」っていう超最強のこれ以上ない聞き飽きた決めゼリフを言われるんだよね。

だけどこの意思って奴は、人間の中に二面性があるのよ。なのに片方の側面からしか物事を考えてない人が実はほとんどなんだよね。(これタバコをやめたいって思い始めて考えた)
つまり何が言いたいかっていうと、タバコをやめたい、あるいわやめようっていう意思が弱いからタバコ(タバコに限らず)をやめられないんじゃなくて、自分自身の中でタバコを吸いたいっていう意思が強いだけの事なんだと思う。
だから結局、

吸いたい意思>やめたい意思

ってなって、この人はめでたく意思が強い人に決定するわけ。

だから依存(モノ依存、薬物依存、ヒト依存、金依存)って一般的には意思とは無関係であるように思われてるかもしんないけど、実はめっちゃ関係してんじゃねーかと思うし、しかも意思の弱い人が、とは限らない無いんじゃないないかと思うわけなのよ。



んで、GW終わっちゃったわけだけど、彼らと飲んでた記憶しかねーな笑

てか最近の我らがヤクルトスワローズの弱さときたら酷いな…
ここ最近常々思う事があるんだけど、なんで日本人て個人という意識と、変化という事に対する意識がこんなにも低いのだろうかと思う。しかも、意外にこのような意識の低い人達は私のような若年層にいくに従って多いような気もする。他ならぬ私自身もそういった側の人間だった(今でも少なからず残っているかもしれないが)事もあり非常に強く感じる事なのである。
なんでそんな事考えるのかっていうと、私を取り巻く友人や先輩、家族など様々な人達がいる中で、一見皆周りとは違う性質を持ち個性とやらを持っていると言われていたり、若者は変化に敏感で柔軟だと言われていたりするのだが、実際本当にそこまで彼らは個人を持ち変化に対して敏感と言えるのだろうか?
最近で言えば、内需の縮小や円高の影響等で日本経済が停滞しているような状況にも関わらず、なんの危機感も持たないような奴らが多いと思う。それって変化に敏感でも何でもないし、周りを見渡してなんとなく日本は大丈夫だろみたいな感覚があるのかもしれない。それもいわゆる個人を持ててないということになるんじゃないんかと思う。
つまり一人一人が個性ではなく、個人を持っていない事で周りの環境に流されてしまい、自分の判断で動く事が出来ず、結果的に様々な変化に対応する事が困難になってしまうのでないだろうかと思う。
今日からウェブログを始める事にした。
理由はさておき、とりあえずまぁ自己満足の範囲で自分が思った事を独断と偏見で書いていこうかと思う。


でー、現在朝5時半なんで
とりあえず一発目はこんなところにして寝よ…