こないだ
携帯電話を家に忘れて外出し
一日を過ごしたのだけれど
まぁ、ほんと
気が気じゃなかったです。
「息子の学校から、携帯に
連絡があったらどうしよう」
「私が浜松にいることは
誰にも言ってないし」←言っとけよ
「連絡がつかない間に
何かあったら💦」
そんな考えが
頭から離れなくて
ヒヤヒヤしました。
(でも映画はちゃんと観て帰った🤣)
大人のほとんどが
携帯電話を持つようになる以前、
「いつでも どこにいても
すぐに連絡が取れること」は
当たり前じゃなかったのに。
今や、それは当然のことで
連絡がつかないことは
「よくないこと」「無責任なこと」
に なってしまってる。
(なってるよね?私の思い込み?)
特に、親として
園や学校からの連絡に
すぐに対応できなかったらいけない。
ってゆう感覚が
ものすごくある。
緊急時の連絡先は
私、パパ、同じ校区の義姉、の3人分
学校に知らせているけれど
母親である私が 絶対に
いつでも連絡を取れる状態でいなければ。
それが母親の責任。
そんな考えが
自分の中に 強くあることに
気づいたの。
だから
携帯電話不携帯の状態が
ものすごーく大きな失敗みたいに
感じられて
馬鹿みたいだけど
めっちゃ怖かった😱
きゃ〜‼️怒られる〜って感覚。
で、
結局 帰宅して
携帯電話を確認して
誰からの着信もなく、
安堵したのだけれど
普段
携帯電話があることで
得られている安心感と共に
携帯の出現で 私たちが
失ったものや(待つ力とか)
昔はなかった 縛りや
義務感のようなものを
あらためて
自覚したのでした。
それにしても個人的な
緊急連絡📲ってめったにないのよ。
(豪雨などで半日下校に‼️などの
全体への連絡メール配信みたいのは
けっこうあるけど)
うちは
園の3年間プラス小学校の2年半の
5年以上の間、
緊急の連絡があったのって
年少さんの時の たった2回。
(一回は 熱がありますの連絡、
もう一回は頭ぶつけたから病院への連絡)
それなのに
これほど気にしているって
私自身の頭が🧠ちょっと
やばいんかな?
心配症すぎるかな?
とも感じたので
それはまた別記事にしますね🤗
📲おわり📲