二十代の終わり頃、、
やたらとパンを食べたい時期があった
パンのことばっかり考えてた。
パンパンパンパンパン🥐🍞🥖🥪😓
パンが食べたい‼️って
頭の中はパンでいっぱいだった。
ふわふわのパンをほおばっていると🍞
お腹だけじゃなく
心の穴が塞がるような
満たされるようなそんな気がして
週に何回もパン屋さんに通い
パンを買いこんだ。
そして、こつこつ食べた。
その頃に読んだ
心理学系の本の中に📚
母性的なものへの欲求が
十分に満たされず育った人は
ふわふわしたパンを食べることで
足りなかった母性を補おうとする、、
そんな記述をみつけた。
記憶がちょっと曖昧で、何の本で読んだのか
パンを求める=母性を求める説が本当なのかも
調べたけれどよくわからずです😓すいません
あの頃はそれを読んで
なるほどなぁ たしかになぁ‼️
このパンへの執着や渇望は
母性的な愛への渇望と考えると
納得がいくなぁと一人思った。
私は母との関係が
あまり良くなかったから。
で、その本を読んでから
どうしたかと言うと、、、
もういい‼️ってなるまで
パンを食べればいいや。と
どこかで吹っ切れたのです。
それまでは
こんなにパンに執着して
私、大丈夫かな?とか
食べすぎかな?異常かな?
なんて不安があった。
でも、その記述を読んで
母性愛への渇望をパンで満たせるなら
パンを食べとこう‼️
食べたらいい‼️
いつか飽きるでしょ‼️
いまはパンが必要なんだよ‼️
母性愛を渇望する私でもいいんだ‼️
そう思えたことで 心が楽になった。
そして 徐々に
私のパンへの執着も薄れていった。
一見好ましくない 行動にも
たいてい 何か意味があり
その時の自分にはそれが必要、、。
そうゆうことって
きっと誰にでもある。
それを責めて
無理にやめようとするよりも
一旦認めてしまう。
そうすることを自分に許してみる。
いいよって言ってあげる。
振り切って やり切ってみる。
その方が 案外早く 人は
その行動から抜け出せるたりするのだ
若い頃の私は
パン屋通いの日々から
そんなことを学んだ😌
今 お気に入りのパン屋さんへ
パンを買いにいくことは
しあわせな楽しみのひとつ😊💕
時々 パンを選びながら
あの頃の自分を思い出す。
そして二十代の自分に言う。
何も無駄なことはないし
今ある悩みは みんななんとかなる。
だから 安心してパンを食べな‼️
母性への渇望をパンで満たせ‼️
それでいいのだと😌✨
あなたは いま
どうしてもやめられないこと
ありますか?
もしあるなら
それでもいいよって
まずは自分に言ってあげてね。
心を楽にしてあげて下さいね😊
それではおやすみなさい😴💤⭐🌙
パン屋さんへ行きたくなった
kaorunでした🌈🤗❤️