村上幸子を偲んで… | はつこ食堂と熊野ブルー

はつこ食堂と熊野ブルー

癒やしのバイク女子

    

                        2012年7月23日(月)
       
                演歌歌手  
     
       村上幸子が亡くなって 丸23年になります

     
          23年という歳月の流れに
       
         訪れる人も、少なくなった遺影碑


 
 
          
          毎年訪れて 
    
          遺影碑の前で手を合わすと

          周囲で 小鳥がさえずり

          さっちゃんが よく来てくれたね

          と 言って
       
          いるように感じます


 
       


        遺影碑を じっと… 眺めていると

        本当に微笑んでいるように見えます

 


    村上幸子さんを知ったのは   今から3年前

       
   
    若くして亡くなった新潟県出身の美人演歌歌手


         そんな見出しで書かれた記事からでした…



    それまで演歌を聴くことは、ほとんどなかった

    のですが 村上幸子という歌手を知ってから
   
    演歌が 大好きに なりました

    
    そして 村上幸子の歌を聴いていると…

    その歌唱力、表現力 …透き通るような美声

    すべてに おいて魅了され 
     
    村上幸子の虜になりました



    1979年 「雪の越後をあとにして」

     クラウンレコードよりデビュー



     「そして港は朝」 「酒場すずめ」など……

     数々のヒット曲は あったのですが

     紅白出場までには至りませんでした

    

       1988年発売の「不如帰」を 

       本人 みずからの勝負曲と
    
       位置づけました



    その 「不如帰」に 大ヒットの兆しが見え

    紅白出場が ほぼ内定というまでになったのですが

    歌詞の中に「泣いて血を吐く」という表現があり

    当時、闘病中だった昭和天皇の容体を
    
    気遣った放送局が「不如帰」の放送を
    
    自粛してしまい紅白出場が 叶いませんでした


    翌年、 昭和天皇が崩御されると
 
    幸子の咽頭部に小豆状のシコリが見つかり
  
    急性リンパ腫と診断されました



           そして翌年… 
 
    1990年 7月23日 午前10時35分
    
    まるで昭和天皇の あとを追うように
 
    村上幸子は 静かに息をひきとりました

    享年31歳という若さでした


    幸子さんは、たくさんの幸子さんを愛する

    人たちに 付き添われて旅立っていきました



       遺影碑に彫ってある
  
      「愛をありがとう」 の文字は
     
      村上幸子が、最後に
    
      どうしても言いたかった言葉  

            それが…

        「愛をありがとう」 

        では なかったかと……

        いう思いを込めて

        刻まれてあるのです…      

 

     村上幸子の遺影碑は 

     新潟県 村上市 大津 にあります
  
     羽越本線 坂町駅下車
     
     国道7号線  新潟より村上方面へ向かい
 
     坂町病院を過ぎて 藤沢の交差点を左折
    
     次の信号を右折 荒川中学校横の 

     踏切を二つ越え  大津集落センターの向かい

     にあります

 
 

         遺影碑には幸子さんの写真が
   
       ステンレス加工で埋め込まれ」ています


 

     碑の下の部分には「不如帰」の歌詞が刻まれてあり

     前に立つとセンサーが作動して

    「不如帰」の曲が流れます


 

    また碑の右側には作詞した星野哲郎さん直筆の

    「叫ぶ」という追悼の詩が刻まれています

  
    碑の裏側には生前 親交の深かった人や
    レコード会社 放送局の名前が刻んであります
    村上幸子が いかに惜しまれこの世を去ったのか
    という思いがします



   碑の前に立つている人は村上幸子の お母さんです

 

   小池可奈著 「さっちゃん物語」の中に
   「親がいうのは たいへん おかしなことなんですが
   幸子は本当にいい子でした
   観音様が 私のおなかを通って この世に
   でてきたんじゃないかと思うんです」
   と述べられています
   お母さんの言葉に何の疑問もなかった
   この世で幸を得るためにやってきた「幸子」ではなく
   この世に幸を与えにきた「幸子」
   それが村上幸子だったような気がする (抜粋)


        この世に素晴らしい曲…
     (幸)を与えにきてくれた 村上幸子
    
    小説「不如帰」は結核を理由に離婚を強いられた
    浪子と 海軍少尉の悲しい悲恋物語です
  
        村上 幸子の 「不如帰」
    2006年 瀬口侑希さんがカバーしています
  

    2005年  「じょんがら恋唄」
       川野夏美さんがカバーしています



                       パートⅡへ 続く
 papapa