さて、自作PCはすでにブームと呼べる段階はとっくに過ぎ、皆それぞれ、自前で安いサーバを作りたいとか、超ハイエンドゲームマシンを作りたいとか、明確な理由を持って作られていると思います。
裾野は狭くなった、と言える。
あとは、お仕着せのものは使いたくないという理由。
そうじゃなけりゃ、メーカーのマシンを使った方が確実に経済的ですしね。
メーカー側も、PC本体だけで、キーボードやマウス、モニタなどは別売りという販売方法も行っている。
日常的なPCの使い方をしている人にとって、気になるのはキーボードのタッチだとか、掃除しなくて済むマウスだとか、ちらつかないモニタなわけであって、CPUの速さなんかはそんなに問題にされるわけではない。
数年使ったら、PCを買い替えるだけのこと。
そうなると、必然的にPCパーツショップは淘汰が進むわけだ。
昔通っていた、俺コンやUSERS SIDEや高速電脳はもう無い。
そして、この度T・ZONE PC-DIYショップが閉店した。
このお店は、自分が初めて早朝販売のために並んだことのあるお店だ。
秋葉原では、よく新製品の発売日には深夜販売や早朝販売のイベントを行う。
Windows95の発売イベントは街を挙げてのお祭りだった。
最近だとiPadの発売日やドラクエの発売日なんかが、大変な賑わいを見せたらしい。
まあ、このときに並んだのは、単に特価販売のメモリを買うためだったのだけれど、始発に乗って辿り着いた早朝の秋葉原、別して中央通りの人一人いない光景というのは、あれはあれで独特の高揚感があった。これだけでも体験する価値はあると思う。
ともあれ、跡地にドスパラが入ったことは、ひとまず良かったことだ。
今でもTWO・TOPや、クレバリー、ZOAなどは頑張ってくれているし、新規のお店もたまに見かける。
現在、自分自身はと言えば、PCゲームの要求する高スペックに金銭的について行けず、MacBook ProのBootcampで動かしているWindowsXP上で、一昔前の洋ゲーを細々と遊んでいる身である。
しかし、いずれはまた15万円を握りしめてPCを自作したいと思っている。
ちなみにその時はモニタじゃなくて、プロジェクターを使いたいと思ってる(えー)。
その時は必ずブログに書こうと思うので、よろしくお願いします。
追記:久しぶりにUSERS SIDEで検索してみたら、ゲーム専門店として生き残っていた!
USER SIDEが社名変更して移転、ゲーム専門の通販店に http://akiba-pc.watch.impress.co.jp/hotline/20100612/etc_uside0.html ニュース元:AKIBA PC Hotline!
良かった!最近は海外ゲーム、どころか国産のPCゲーム自体販売している店が少ないので。
ただ、残念ながら通販サイトオンリーのようだ。秋葉原は開発がすごい勢いで進んだし、実店舗を出すこと自体がリスキーなんでしょうね。
さて、昨日(昨日?)の続きである。
WINDOWSブームは同時にPC文化の大衆化であり、新しい市場の誕生でもあった。
キューハチからDOS/Vへの急激な変化に伴って、PCの自作ブームが生まれた。
ずっと、あこがれはあったけれどお金が無かったので、初めて自作したのは、大学に入ってからだった。
初めてPCを自作しようと思い立った理由は、「自分の好きな構成で作ってみたかった」という、しごく単純な理由であった。
その時はだいぶDVDが普及してきており、パーソナルホームシアター的なことがPCでも出来るようになっていた。
では、せっかくなのでDVDを視聴するのに最適化したPCを作ろうと思い立った。ついでにゲームも出来るやつ、と。
と、いうわけでグラフィックボードは迷わずATI社のものにした。当時はDVD再生支援なんて機能が前面に押し出されている時代で、その中でもATIの画質には定評があった。今でも画質はATIって風潮があると思うけど。
自分は昔から「なんでも出来ちゃう」系に弱い人間である。
なので、この時も何とTVも観れちゃう!オールインワンダーというボードを買った。これがデバイスドライバのアップデートが大変で大変で何回泣かされたことか・・・というのは、まあ別な話。
サウンドブラスターは鉄板アイテム。ていうか、音なんて何でもいいって人以外は基本これにするよね?5.1chスピーカーも同じくクリエイティブのやつ。
CPUは当時ファミカセwと言われていたAMDのSlot A 「Athlon」。
マザーボードはAOpen(調べてみると地元企業だったので。黒いボードもカッコ良い。後にエラー音をギャル語でしゃべるってことで有名に・・・って、あれ初めて聞いたときは嫌な感じにビビるよ)。
筐体は超奮発して、出初めだったアルミケース。パーツの中で一番高かった。
CD-Rドライブは信頼のプレクスター。もちろんメディアは太陽誘電(『イリアス』と問われると、読んでもいないのに『オデュッセイア』と答えるのに似ている。文系のヒトに尋ねてみよう!)。
まあ、こだわったのはこの辺りのパーツ群でした。
主にこれらを今は亡き『PC-DIY』誌にて情報を集め(今考えると偏った情報だぞ)、初の自作パソコンは特にトラブルも無く完成した。
思えば、この頃はメーカー製PCはとても高価で、尚かつ個性的なものはあまり無かったように思える(FM-TOWNSとかX68系とかは除く)。
そういう理由から、今ではあまり考えられないが、安く作るなら自作で!という人を中心に自作ブームは盛り上がっていた。
自分は始めからマルチメディアでゲームマシンで~という考えだったけど、15万円以内でという制約をつけていた。
自分で予算を組めるのも自作PCの良いところ。この予算枠は今でも変わりません。
そして、実際用途からマニアックな要求まで応えるPC自作市場は広がりを見せ、中央通りはソフマップを中心に、裏通りはツクモやドスパラ、クレバリーなど多くの店舗が競争を強めて行きました。
現在では「PC自作=メーカーより安い」は過去の話となり、自作PCパーツショップは、中型店以上の店においては、パーツの組み合わせで独自のPCを作って売る、いわばセミカスタムメイドのPCを売るなど、工夫を重ねて生き残りをはかっています。
それでもまだ自作PCには需要があります。
それに関してはまた次回。明日?そんな先のことはわからないよ。
WINDOWSブームは同時にPC文化の大衆化であり、新しい市場の誕生でもあった。
キューハチからDOS/Vへの急激な変化に伴って、PCの自作ブームが生まれた。
ずっと、あこがれはあったけれどお金が無かったので、初めて自作したのは、大学に入ってからだった。
初めてPCを自作しようと思い立った理由は、「自分の好きな構成で作ってみたかった」という、しごく単純な理由であった。
その時はだいぶDVDが普及してきており、パーソナルホームシアター的なことがPCでも出来るようになっていた。
では、せっかくなのでDVDを視聴するのに最適化したPCを作ろうと思い立った。ついでにゲームも出来るやつ、と。
と、いうわけでグラフィックボードは迷わずATI社のものにした。当時はDVD再生支援なんて機能が前面に押し出されている時代で、その中でもATIの画質には定評があった。今でも画質はATIって風潮があると思うけど。
自分は昔から「なんでも出来ちゃう」系に弱い人間である。
なので、この時も何とTVも観れちゃう!オールインワンダーというボードを買った。これがデバイスドライバのアップデートが大変で大変で何回泣かされたことか・・・というのは、まあ別な話。
サウンドブラスターは鉄板アイテム。ていうか、音なんて何でもいいって人以外は基本これにするよね?5.1chスピーカーも同じくクリエイティブのやつ。
CPUは当時ファミカセwと言われていたAMDのSlot A 「Athlon」。
マザーボードはAOpen(調べてみると地元企業だったので。黒いボードもカッコ良い。後にエラー音をギャル語でしゃべるってことで有名に・・・って、あれ初めて聞いたときは嫌な感じにビビるよ)。
筐体は超奮発して、出初めだったアルミケース。パーツの中で一番高かった。
CD-Rドライブは信頼のプレクスター。もちろんメディアは太陽誘電(『イリアス』と問われると、読んでもいないのに『オデュッセイア』と答えるのに似ている。文系のヒトに尋ねてみよう!)。
まあ、こだわったのはこの辺りのパーツ群でした。
主にこれらを今は亡き『PC-DIY』誌にて情報を集め(今考えると偏った情報だぞ)、初の自作パソコンは特にトラブルも無く完成した。
思えば、この頃はメーカー製PCはとても高価で、尚かつ個性的なものはあまり無かったように思える(FM-TOWNSとかX68系とかは除く)。
そういう理由から、今ではあまり考えられないが、安く作るなら自作で!という人を中心に自作ブームは盛り上がっていた。
自分は始めからマルチメディアでゲームマシンで~という考えだったけど、15万円以内でという制約をつけていた。
自分で予算を組めるのも自作PCの良いところ。この予算枠は今でも変わりません。
そして、実際用途からマニアックな要求まで応えるPC自作市場は広がりを見せ、中央通りはソフマップを中心に、裏通りはツクモやドスパラ、クレバリーなど多くの店舗が競争を強めて行きました。
現在では「PC自作=メーカーより安い」は過去の話となり、自作PCパーツショップは、中型店以上の店においては、パーツの組み合わせで独自のPCを作って売る、いわばセミカスタムメイドのPCを売るなど、工夫を重ねて生き残りをはかっています。
それでもまだ自作PCには需要があります。
それに関してはまた次回。明日?そんな先のことはわからないよ。
「T・ZONE」に幕 秋葉原「PC DIY SHOP」はサードウェーブ「ドスパラ」に
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1011/29/news100.html
というニュースを受けて。
T・ZONEには結構思い出がある。
現在秋葉原の中央通りにある、ドンキホーテの場所には、その昔T・ZONEミナミという巨大な家電量販店があった。
始めてインターネットに触れたのも、上の方の階にあったインターネットカフェであった。
その時自分は16歳だったと思う。とりあえず知っているURL「Yahoo! JAPAN」のホームページには辿り着いたものの、何を検索していいかもわからずに、郷土の歴史か何かを見る羽目になった気がする(浮かんだ単語が地元の地名・・・って、でも当時はそんなものだった)。
時代としては、WINDOWSが日本列島を襲い、PC-98一極集中時代が幕を閉じた頃であったと思う。
DOS/Vなんて言葉は、キューハチじゃない、の意だった。
秋葉原は面白い街で、中央通りを歩けば(秋葉原の)時代時代のトレンドがわかる。
今はもちろん萌え系が幅を利かせているんだけれども、その当時はPCショップ(家電量販店)がメインだった。
そのとき、自分は始めて時代が変わる流れを体験したと思う・・・。
それはT・ZONEミナミにおいて、だ。
何を勘違いしたか、1階の入り口付近をエロゲ♨のコーナーにしたのだ。
当時はまだ、そっち系のカルチャーは一本下がった道沿いにあった。
今は中央通りの中央付近に鎮座ましましている「とらのあな」も、当時は仲間内で、そんな店があるんだー、本当かいなーという位置付けだった。
で、そんなちょっと隠れて××的なアレが「家族連れで訪れる客層メインの家電量販店において」ってこと。
今で言えばヨドバシakibaの1階店頭がエロゲコーナーになったようなものだ。
自分は、パソコンブームの中(当然キューハチ時代から続くエロゲブームでもある)で価格競争を強いられた電化系大型店という巨象が、のたうち回る断末魔の叫びを聞いた気がした。というか、壮大な切腹ショーだった気もする。
余談だが、もう一つ切腹ショーは見たことがある。
いや、この場合セルフ竹ノコギリ引きの刑というべきか。
そうLAOX・ザ・コンピューター館、通称ザ・コン館である。
T・ZONEミナミが壮絶な自爆を果たしたあと、後釜に居座ったのが、LAOXだった。アソビットシティの誕生である。
アソビットシティに関して述べれば、LAOXはその頃ホビーにもかなり力を入れ始め・・・てた。
んだが、結局アソビットシティはLAOXホビー系各店舗の寄せ集めみたいな感じで、広い割には品揃えイマイチっていう勿体ない店になってしまい、あえなく消えた。
本当に書くことがこれしかないくらい、個性の無い店であった。
さて、ザ・コン館である。
こちらはアキバ通いをする人の間では「キレイなトイレのある店」という名誉ある称号で呼ばれる店であった。
当時は今ほど飲食店が無く、秋葉原デパートでしそこなったら、ここしかない!というオアシスだったのだ。トイレだけはね。
かくして、自分にとってはトイレ以外は華麗にスルーというお店だったわけです。
Q:せんせーなんでですか?(・ω・)/
A:店のBGMのせいです。
客がそれほど多くない店内に延々と流れる「歌:小林亜星」のテーマソング。あとから出来た本屋ではBGMが迫力のあるゲームミュージック(オーケストラ編成だった曲もあったと思う)。
集中出来るわけねえだろっ!!
・°・(ノД`)・°・
と、いうわけで今に至る。
客に媚びすぎると、逆に客のことを考えていない店作り、ということになるわけですね。そのライン引きっていうのはとても難しいことだと思います。
時代の移り変わりには、街によって、いろいろと大きな変化がかいま見れるわけですね。
特に秋葉原みたいな変化の速い街においては。
明日はその中でも、しぶとく生き残っていたT・ZONE PC-DIY館について書いてみたいと思います。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1011/29/news100.html
というニュースを受けて。
T・ZONEには結構思い出がある。
現在秋葉原の中央通りにある、ドンキホーテの場所には、その昔T・ZONEミナミという巨大な家電量販店があった。
始めてインターネットに触れたのも、上の方の階にあったインターネットカフェであった。
その時自分は16歳だったと思う。とりあえず知っているURL「Yahoo! JAPAN」のホームページには辿り着いたものの、何を検索していいかもわからずに、郷土の歴史か何かを見る羽目になった気がする(浮かんだ単語が地元の地名・・・って、でも当時はそんなものだった)。
時代としては、WINDOWSが日本列島を襲い、PC-98一極集中時代が幕を閉じた頃であったと思う。
DOS/Vなんて言葉は、キューハチじゃない、の意だった。
秋葉原は面白い街で、中央通りを歩けば(秋葉原の)時代時代のトレンドがわかる。
今はもちろん萌え系が幅を利かせているんだけれども、その当時はPCショップ(家電量販店)がメインだった。
そのとき、自分は始めて時代が変わる流れを体験したと思う・・・。
それはT・ZONEミナミにおいて、だ。
何を勘違いしたか、1階の入り口付近をエロゲ♨のコーナーにしたのだ。
当時はまだ、そっち系のカルチャーは一本下がった道沿いにあった。
今は中央通りの中央付近に鎮座ましましている「とらのあな」も、当時は仲間内で、そんな店があるんだー、本当かいなーという位置付けだった。
で、そんなちょっと隠れて××的なアレが「家族連れで訪れる客層メインの家電量販店において」ってこと。
今で言えばヨドバシakibaの1階店頭がエロゲコーナーになったようなものだ。
自分は、パソコンブームの中(当然キューハチ時代から続くエロゲブームでもある)で価格競争を強いられた電化系大型店という巨象が、のたうち回る断末魔の叫びを聞いた気がした。というか、壮大な切腹ショーだった気もする。
余談だが、もう一つ切腹ショーは見たことがある。
いや、この場合セルフ竹ノコギリ引きの刑というべきか。
そうLAOX・ザ・コンピューター館、通称ザ・コン館である。
T・ZONEミナミが壮絶な自爆を果たしたあと、後釜に居座ったのが、LAOXだった。アソビットシティの誕生である。
アソビットシティに関して述べれば、LAOXはその頃ホビーにもかなり力を入れ始め・・・てた。
んだが、結局アソビットシティはLAOXホビー系各店舗の寄せ集めみたいな感じで、広い割には品揃えイマイチっていう勿体ない店になってしまい、あえなく消えた。
本当に書くことがこれしかないくらい、個性の無い店であった。
さて、ザ・コン館である。
こちらはアキバ通いをする人の間では「キレイなトイレのある店」という名誉ある称号で呼ばれる店であった。
当時は今ほど飲食店が無く、秋葉原デパートでしそこなったら、ここしかない!というオアシスだったのだ。トイレだけはね。
かくして、自分にとってはトイレ以外は華麗にスルーというお店だったわけです。
Q:せんせーなんでですか?(・ω・)/
A:店のBGMのせいです。
客がそれほど多くない店内に延々と流れる「歌:小林亜星」のテーマソング。あとから出来た本屋ではBGMが迫力のあるゲームミュージック(オーケストラ編成だった曲もあったと思う)。
集中出来るわけねえだろっ!!
・°・(ノД`)・°・
と、いうわけで今に至る。
客に媚びすぎると、逆に客のことを考えていない店作り、ということになるわけですね。そのライン引きっていうのはとても難しいことだと思います。
時代の移り変わりには、街によって、いろいろと大きな変化がかいま見れるわけですね。
特に秋葉原みたいな変化の速い街においては。
明日はその中でも、しぶとく生き残っていたT・ZONE PC-DIY館について書いてみたいと思います。