
ボクはいつだって正解を求めていたような、そんな気がする。学生の頃は言うに及ばず。その後も、いつだって正解を探し、出来うる限り正解に近い生き方を求め、いつだって自分は正解でありたいと希求し、正解であり得ないことに焦れて、苛立ち、苦しんできたような、そんな気がします。
ところが今、いったい何が正解なのか、さっぱり分からなくなってしまった。知ろうとすればするほど、正解は儚く遠く霞んでしまう。ボクを震えあがらせるような言葉ばかりが飛び交うこの世にあって、ボクは何をよすがに生きれば良いのか。
ボクを救うものは、少なくとも「正解」ではない。ボクを導くものも「正解」ではない。ボクが欲しいのは正解や真実じゃあない。それはハッキリと掴んだ。
じゃあ、何だ?
ボクが欲しいものは?
ボクが求めているのは?
ボクを導くものは?
情報じゃなく、知識じゃなく、常識でもモラルでもない。自分の中から湧いてくる、ここを行け! と言う叫びのようなもの。何の根拠もないから、聞こえるたびに心をかき乱されるような内なる声に、イチかバチかで盲目なまでに従ってみたい。
ボクも、他人も、国も、この世界すべてが、まるで茶番劇を演じているような、そんな毎日。何の現実味も感じられぬほどに薄っぺらく右往左往するひとびと。笑える。本当に笑える。この喜劇は皆が深刻に演じているからこそのくだらなさだ。悲劇にすらなり得ないほどのくだらなさだ。実に滑稽だ。実に愉快だ。みっともないほどアホくさい。
そう言えば「元祖 天才バカボン」はあんなに面白いのに、バカボンのパパはじめ登場人物は、いたって真剣だったような気がします。誰一人笑いを取ろうとなんかしていなかったような気がするなぁ。
そうだ、コロナ禍にある今のこの世は、まぎれもなくギャグマンガだ。ボクは今の世が手塚治虫の世界かと思っていたけど、どうやらそれは見当違いだったようだ。今の世はまさしく赤塚不二夫ワールドだったんだ。
あれ?
少し雲が晴れてきた?
何だか光が見えてきた?
くだらなき世の中を真剣に生きてやる!
久しぶりに力が湧いてきた。赤塚先生、見ていてください。ボクはあなたがお描きになったあの世界を、真剣に、懸命に生きてみたいと思います。
正解を求め、認められたいと焦り、褒められたくて褒められたくてウズウズしていた、さっきまでの自分が、急に愛おしくなってきた。呆れられてなんぼ。蔑まれてなんぼ。罵られてなんぼです。そんな世界を真剣に生きてやる。
今日のこの気持ちは絶対に忘れない。
絶対に、絶対に、絶対に忘れない。
赤塚先生、本当に本当に見ていてください。ボクはあなたの世界を生ききります。


