皆様今晩は!6月に突入し日射しも強くなってまいりました。熱中症には呉れ呉れもお気を付けくださいませ!さて今回は神奈川県『鶴見神社』です。
当社の本殿は、杉山大明神と天王宮の二社相殿となっている。
沿革・伝承
鶴見神社の創建は、推古天皇の時代(7世紀初め)と伝えられる。古くは杉山大明神(杉山神社)と称された。1920年(大正9年)に、社名を鶴見神社と改めた。
相殿の天王宮に伝わる「鶴見神社大神輿」は、横浜最古の神輿とされ、例年7月の天王祭には古式ゆかしく渡御する。この神輿は、約350年前に鶴見川の天王河原(現・潮見橋付近)に流れ着いたものと伝えられる。当時、少し上流にあった鎮守天王社(現在は川崎市幸区小倉の小倉神社)の祭礼のとき、鶴見川で神輿を洗った際に、誤って流してしまったものとされる。
社殿は、1753年(宝暦3年)に再建され、1853年(嘉永6年)には名主・佐久間権蔵が社殿を改築したという記録がある。1911年(明治44年)3月31日、火災のため社殿が全焼し、1915年(大正4年)11月に再建された。
境内地はかつて約5000坪に及び、鎌倉将軍・藤原頼経が1241年(仁治2年)に参詣した際に奉納したと伝えられる欅(前述の古木)や富士塚(境内の奥に現存)のほか、大きな神木が茂っていた。この神木に関して、一つの伝承がある。江戸時代のこと、その神木の中でも大きな檜が人々の信仰をあつめていた。あるとき、江戸の芝居小屋の棟木にするため、この檜の巨木を切り倒したところ、病人が出るなど奇怪なことが続いた。そこで、この檜を伐採した跡に、これに代わる木を植えたところ、鎮まったという。
【ウィキペディア】抜粋