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祭神は火之迦具土大神(ひのかぐつちのおおかみ)。秋葉山に鎮まる神で「秋葉大神」(あきはのおおかみ)とも称される。

江戸時代までは秋葉権現を祀(まつ)る秋葉権現社(あきはごんげんのやしろ)と、観世音菩薩を本尊とする秋葉寺(しゅうようじ)とが同じ境内にある神仏混淆(しんぶつこんこう)の山だった。秋葉大権現について秋里籬島東海道名所図会』(寛政9年(1797年)成立)では「秋葉山大権現〔本堂の側にあり当山鎮守とす〕祭神大己貴命〔或曰式内小國神社〕三尺坊〔秋葉同社に祭る当山護神とす〕」と三尺坊とは異なる鎮守神とし、僧侶の編纂した「遠州秋葉山本地聖観世音三尺坊略縁起」(享保2年(1717年))では三尺坊を秋葉権現であるとしている。実際には鎮守と三尺坊は混淆され、人々は秋葉大権現(あきはだいごんげん)や単に秋葉山(あきはさん)などと称し信仰した。

賀茂真淵門人の内山真龍は『遠江国風土記傳』(寛政11年(1799年)成立)で『日本三代実録』に記載された「岐陛保神ノ社(きへのほのかみのやしろ)」の後身であるとの説を唱えた。

三代実録に曰く「貞観十六年五月十日、遠江国正六位上岐氣保神に従五位下を授く」、と、按ずるに倭名鈔に岐氣は山香郷の郷名なり、保は火なり、此山岐氣の保神社の地に当る、而して火防神と称するか

神仏判然に際し教部省は秋葉権現を三尺坊とは異なる神祇(鎮守)と考証し、その上で秋葉権現社を秋葉神社と改称することを命じた。この時祭神名については修験の家伝を採用し「火之迦具土大神」とされた。

また別称として古くは寺号を霊雲院(りょううんいん)と称した。

祭神は火之迦具土大神(ひのかぐつちのおおかみ)。秋葉山に鎮まる神で「秋葉大神」(あきはのおおかみ)とも称される。

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@所謂神話でイザナミ(お母さん)からお産まれになったのだけれど(火の神様)だから、お母さんを火傷させて殺めてしまったお柱です。びっくりなんか刹那いえーんその後がまたまた刹那いショボーンイザナギ(お父さん)に殺められてしまいます笑い泣き神話はその先も続きますが…なんか悲しい😢

エピソード:奇蹟ラブラブ

§本宮付近でどしゃ降りになり撮影できず恐縮です!1枚だけ鳥居の写真撮れてます!(その時、社務所で劇的出会い&神主様一同に手厚く開放された事がありました!)この場を借りて御礼申し上げますおねがい🙇