断捨離をしていて、「すっきり」を感じる時と、感じない時がある。
確かに、ものを手放すことで、ある程度の「すっきり」とは出逢えるのだが…
どんなに莫大な量を捨て去って空間ができても、
なぜか「すっきり」しない時もあれば、
少し何かを手放しただけで
大いに「すっきり」することもたまにある。
まるで、台所の詰まった排水溝が、何かの拍子に一気に流れ出すように
まるで、口の中に刺さった魚の小骨が、するっと取れた時のように
まるで、歩いているときに気になっていた、靴の中にある小さな小石を取り除いた時のように
「すっきり」を感じる時って、大きな何かを手放す時だけでは決してない
ほんの小さなことなのに、それを手放し、それがなくなることで
人は、心からの「すっきり」を感じることがある。
手放したいのは、「小さなこと」なのかもしれない。
心にひっかかっていた、「あれ」かもしれない。
ずっと、あの人に言えなかった「あのこと」かもしれない。
誰かとの関係が崩れるのが怖くて、ずっと我慢してしまいこんでいた「あのことば」かもしれない。
それは、ひょっとしたら、書き留めたらほんの数文字なのかもしれない。
だけど、それがずっと心の中にあって
モヤモヤモヤモヤと、渦巻いている時がある。
小さなことなのに。なんなんだ、この存在感。(君は、歯の奥につまった小魚の骨か?)
…今日は木曜日、つまり週の後半で
リビングは少々、いや、大いに散らかっていて
下駄箱も、いばれた状態ではなく
畳めるところまで全く行き着いていない、洗い終えた洗濯物が、
整っているとは絶対に言えない部屋を、再確認させてくれる。
だけど、なのに、今日の私がものすごく、本当に、心底「すっきり」しているのは、
長年言えなかった言葉を、「あの人」に、吐き出せたからだ。
もしも吐き出したら、「こうなるんじゃないか、ああなるんじゃないか」と不安だった。
実際、相手の反応はとんでもないものだったけれど
だけど、今の私は困っていない。
相手が憤慨しようが逆ギレしようが、私は全然悩んでいない。
逆にこの清々しい思いはきっと、「すっきり」という表現で表すことができるんだろう。
思いを話す(離す)ことで、心は確実に軽くなっった。
なんだ、手放しても大丈夫だったんだ。
私は、大丈夫だったんだ。
だいじょうぶだったんだ。
「すっきり」は、自分の心が決めていい。
私もあなたも、だいじょうぶだよ。