自分の感覚を信じて
自分らしさに流れを変えるボディケア
小樽駅から徒歩5分
隠れ家サロンkokage
そういえば最近以前みたいなお金への悩みを感じないなーって思ったので 書いてみようと思ったの
経済にも疎い私の一見解なので、あしからず
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私、お金、好きなんです
で、かつては
お金を理由に悩む事も結構あったけど、そんな自分に違和感が実はあって。
自分の好きなモノを 自分を苦しめる原因だとしてる自分に違和感というか。←伝わる?
でね、そんな悩んでる時、今思うと私は【お金】に価値を見てたんですよ。
お金があるのが良いこと
お金を自分で稼げるのが凄いこと
お金が無いのはダメなこと
お金を自分で稼げないのは情けないこと
とかとか。
それも別に間違いじゃないと思うけど、その見方だけだと私は苦しくて
で、お金の役割的な事を自分なりに考えたらなんだか、なんだかそっちの感覚でいた方が気軽だなーって
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そもそも何でお金が生まれたかって。
何かと何かを交換するため。だったよね?確か。
お金が存在しない時代ってさ、多分だけど、得意な事を得意な人がやって、それで生活を循環させて。
“助け合う” って言葉が必要もないくらい
それが当たり前な感覚だったんだと思うの。多分だけどね。
うちもそんな生活してみたいなって時たま思ったりする
でさ、私のうっすい知識によると
生活様式が変わってさ、定住してさ、所有の意識が根付いて。
そこの土地を治める人にお米を納めたりしてさ。
そこからだんだん
物、技術、知識、情報、安全、とかを
得るための交換するツールとしてお金が出てきたんだと思うんですよ
持ち運びに軽いし価値も合わせやすいしね
私、たまに物々交換で生きようと考えたりするんだけど、結局お金も物々交換だったな、と落ち着くんよ
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で、私のこの理解が正しいかどうかはさておき、
私はお金を交換するツールと思えてる時が結構楽チンなの
私が得たい物、経験、知識、情報、安全、安心、感情、快適さ、とかとか。
物質なものから物質ではないものまで。
物質であっても、それが形作られるまでに色んな人の情熱や時間や手間暇や試行錯誤がある。
そういったモノを【お金】を媒体にして得たり出したりしているだけなんなーって
そんな風に見えてきたら 【お金の寡多】だけに囚われる事が格段に減ったのですよ
お金が減ったー!増えた!!って一喜一憂するよりも、お金がなくなっちゃうーって焦ってた時よりも、
お金の移動で来るモノ出るモノを感じられる時のほうが落ち着いている
あ、別になんも奪われてないや、みたいな。
つっても、お金を増やそ。今必要ない支出を減らそ。ってゲーム感覚で取り組むのも結構好きなんだけどね
自分が苦しくならない程度にね
なので、お金そのものに価値を見出すより、
【交換のツール】を
自分を喜ばせるモノと見てるのか
自分を苦しめるモノと見てるのか
その自分の認識を自分で見てくのが、私にとっては、自分を気楽にする為に必要だったなって思います