自分の感覚を信じて
自分らしさに流れを変えるボディケア
小樽駅から徒歩5分
隠れ家サロンkokage





私、昔、“正解ってひとつ”  “正解は周りにある” と漠然と思っていたので。


生活や人生をより豊かにしたいって時、より良くしたい時、何か悩みや不満を解消したい時、
その答えを得るべく情報を求め彷徨い歩きランニングランニングランニング


何か正解らしき情報や知識を得ると
よし!これで良くなるぞ!変わるぞ!と意気込み雷


それなのに、あんまり変化しない、、、


ってことが私はメチャクチャあった笑い泣き





〇〇が良いと聞いたら
→〇〇だけが良いと脳内変換しちゃって、それ以外をダメとしてしまったり、それ以外を選ぶ人を小馬鹿にしたり見張ったり、〇〇が合わない自分を責めたり。


〇〇したら楽なんだよーと聞いたら
→〇〇しなきゃ!〇〇でいなきゃ!と自分を見張ったり出来ないと責めたり。


〇〇だから安心していいんだよ、と聞いたら
→本当はまだまだ不安なのに〇〇だからとその不安を誤魔化したり。〇〇なんだから!と武装したり。
〇〇と思えない自分を恥じたり。


この凄そうな人が発信してるんだから、それが正しいんだろ。私もそう思わなきゃ、みたいになったり


あれ?より良くなる為にこの情報を得たのに。。。
なんか、思ってたんと違う笑い泣き
なんならちょっとイヤなヤツになってた時もある
この自分気持ち悪いなと思ってた時もある。






そんな自分気持ち悪いなって時って


知識や情報>>自分の感覚や気持ち


と、バランスが崩れて優先順序がひっくり返ってるカエル


なんでひっくり返るかって、
そもそも正解は周りにあると思ってるし。
正解は今まで周りから教えてもらう事だったし。
誰かの正解=私の正解だと思ってたし。
自分の気持ちや感覚を信じれてないからだし。
信じれてないから正解がほしいし。


だから誰かの答えに合わせにいかないと、と思って。
だから周りの答えに合わせるには自分の気持ちや感覚を抑え込む事も必要だったし。
だから答えのような知識や情報を優先してて。



生活や人生をより豊かにしたくて得た知識や情報を、自分の気持ちに蓋をする道具にしてた。
自分を責める道具にしてた。



そんでね、そんな使い方をしちゃってる時は、たいてい頭がパンパンになってて視野が狭まってて、カラダを感じる事を忘れてるのでね



温かいお茶を飲んだり
湯船に浸かったり
好きなアロマを焚いたり
落ち着く曲を聴いたり
猫に顔を埋めたり
目を閉じて毛布にくるまったり



そんな自分がホッとできる事に身を浸して、カラダを感じてみるのチュー




自分がホッと出来る事に身を浸したら
今安心出来て、ココロに余裕できる照れ
頭が静かになる照れ
視野が狭まってた事に気づく。


何か今豊かだなぁ、と感じる。
カラダも気持ち良いなぁ、と感じる。


あれ?周りに正解があるかと思ってたのに。


自分が、このカラダが、心地よいと感じる事をしてたら豊かさが見える。
自分がホッと出来る事はカラダの感覚で知れる。
この感覚を感じてたら豊かだなぁと思える。



あら、私の中に正解あったわ笑い泣き
カラダにあったわ笑い泣き


こんな簡単でいいんかいw


自分の心地良い時間を増やして、それをする許可を自分に出して、その為の環境を整えて。


そういった事を拡げて行く為に 知識や情報を選んで活用すればいいんかー照れ照れ照れ



自分が何に対して悩みや不満を感じてるのかをみて。
そこにある思い込みをみて。どうしていくか決めて。
あら、問題解決の糸口も自分の中にあるじゃない照れ



自分の正解って自分の中にあるんなー
人の数だけあるんなー
で、正解って変わってもいいんなー


と思うのでした照れ照れ照れ