オーナメント入院シリーズ❶オーナメント

 

 

20年位前の40代の頃👗の私はテレビ関連業界テレビのお仕事についてました。
当時流れ星夜型シフトの上多忙なメモ時期で疲労が重なり頑張り過ぎて重症貧血ドクロになった私でした。

いつもの生理だと思っていた出血は普段の生理では無かったのですガーン
若い頃から量も多く生理は重い方だったので鎮痛剤薬を飲んで忙しい業務をこなしてました。

 

 

 

1週間を過ぎても生理が終わらず体調も悪くゲロー連れに話して近所の病院へ病院向かいました。
行った日は検査や点滴で様子を見ましょうというものでした。

所が次の日の早朝病院から連絡電話があり【大至急DASH!こちらへいらして下さい】というものでした。
直ぐに連れに連絡して早退して帰ってきてもらい一緒に病院へGO車しました。

 

 

 

先生が【ヘモグロビンの数値が悪く危ないんです予防大きい病院への紹介状を書きます手紙即入院になります】とのこと、、。
先生が続けて【旦那さんも奥さんがこんなになるまで気がつかなかったんですか!?倒れないのが不思議なレベルですよムカムカ】と、、。


 

 

そして当時成人したばかりの息子アセアセもかけつけ大学病院へ緊急入院しました。
私の職場へは連れから事情を話してもらい無期限休暇をお願いしましたお願い

 

 

 

 

事務的な入院手続きが済むと直ぐにいろいろ検査されてゲッソリ考える余地なく輸血となりました。
病室は同じような症状の若い方(当時20代)との南向きの設備の良い二人部屋グリーンハートでした。
連れと息子が手続きで別室に行っている間に私の輸血が始まりました。

 

 

 

ふうっ~っとふとん1気を失いかけたような感覚の時に、同室に入院中の方と旦那さんが病室に戻って来ました💑
私はベッドの上からご挨拶しました。
奥様が職場で突然倒れて昨日緊急入院したとのことでした👂

 

 

 

 

連れと息子が戻って来て、、、。。。

【先生の話だと最低でも1カ月は入院らしいから何も考えずゆっくり養生だね】と連れが静かにつぶやくショボーン
息子は【お母さんハート僕は毎日顔見に来るからねスター】と、、。

 

 

 

輸血中に看護師さんが【疲れさせない為にもご家族はそろそろお帰り下さいね凝視】と、、。
そして連れと息子が【明日ね】と病室を後にしましたランニングランニング

 

 

 

家族が病室を去った直後に私は重い瞼目を閉じました。
 

 

 

次の瞬間おばけくん私は病室を出てエレベーターに乗り病院の玄関を出て行くまでの二人の後姿を病院病院の天井付近と思われる高い位置から見ている目スターのです。
(´・ω`・)エッ?これって幽体離脱👻なの私??と思った瞬間深い眠りについたのでした。

 

 

 

 

そして次の日のお昼は過ぎていた頃時計に目を覚ましますと👀私のベッドの周りに、なんと私の両親と弟👦更に連れの両親と義妹たち👩👩が来てくれてました。
両家の家族が集合だなんて、、ガーン
私はただただ驚き(◎_◎;)、、、。。


 

 

もしかして私、、、。
死ぬのかしら!!オバケ
昨晩のあの体験といいガーンそんなに悪いんだと内心凹みました。

 

 

 

そして母がぽつりと言いました。
【あなたが入院している間は、向こうのお母さんおばあちゃんが残って家のこと鍋して下さる事になったからキョロキョロ私はあなたが退院する日に来てあなたの家で退院後のお世話をするから】と、、。
この母の言葉で命はあるんだと(´▽`) ホッとしました。
素直で単純な私ルンルン


 

 

 

数日で輸血予防接種は終わりました。
数値が倍くらいまで回復したと言われましたヽ(^o^)丿
それでもまだまだ油断は出来ないと担当ドクターから言われました。
その後は食事療法サラダや沢山のお薬薬と様々な検査の日々でした。
途中から4人部屋にお引っ越ししましたランニング

 

 

 

そして、ふと気がつきました。
そう言えばあの同室の若い方は入院した日以来見てないことに、、。
二人部屋でもカーテンと薄い戸で仕切られていたしふとん1ふとん2ふとん3入院から1週間位は私はトイレ女性トイレ以外は寝たきりで輸血zzzでほとんど眠っていたから朦朧としていて覚えて無い。
私が眠っている間に退院なさったのかも知れないと思い深く考えないことにしました。


 

 

検査の結果ガンでは無いという事は判明しました(´▽`) ホッキラキラ
 

 

 

四人部屋の方々は私以外は皆さんガンを患ってる方々でした。
同室の三人さんは長く入院なさっている方々で、別室に長期入院中のご友人お母さんが遊びに来たりしてて、私も仲間に入れてもらい感謝でした義理チョコ
三人の方々や別室のご友人も皆さん明るくて花火退院する頃にはすっかり元気になった私でした筋肉

 

 

 

丁度一カ月位の入院になりました。
退院する前日に、母が上京して新幹線来てくれて義母からお世話のバトンりんごを受け取ったとテンションが高めの母でしたニコニコ
退院の日は家族と実家の母とタクシーリムジン前で病院を出ました。

 

 

 

そして私の目に飛び込んで来たのは満開の桜でした✨桜桜桜
私の退院を祝ってくれているかのような光景で清々しい気持ちでした合格


 

 

退院後も定期的な通院は5年続きました病院
後から知りましたが泣入院した日に言葉を交わした同室の若い女性は私が入院した次の日に亡くなったそうです。

その事実は今でも信じられません大泣き


 

 

入院したあの日予防接種私が体験したあの出来事は天使天使天使夢なのか死の世界への入口オバケオバケだったのかはわかりません。
同室になったあの方は私が入院した時果たして生きていたのか天使スター

 

 

 

 

今この年まで生きて三毛猫こうしてブログを書くことが出来ている鉛筆生かされている事にキラキラ【感謝】キラキラしかありません。



 

 

カメラカバー写真は数日前に行った分水嶺に虹キラキラ虹虹キラキラがかかっていて癒された1枚です目
小さな幸せを感じましたふんわりリボン


 

 

 

ショコタン花束