人とのコミュニケーションが得意なほうではないです。
でも、人に会うのは嫌いではないんです。
どちらかというと好き。
なのに、なぜか人と会った後にドッと疲れを感じるんです。
会っている最中は気を張っているので感じませんが、帰宅したりして気が抜けると精神的疲労感が押し寄せる。
気を遣う相手だけでなく、友人とかでもそうです。
(なぜそんなに疲れるのか、という自己分析を並べただけの記事です↓)
(1)他人の目(評価)を気にする
「もう、何と思われたっていいや!」
って思えない。
とにかく他人の目が気になる。
絶対、私のことなんてそんな気にしてないし、見てない。客観的に考えればわかるのに。
でもそう思えず「自分の言動が悪く思われたかも?」と気に病んでしまうところが、疲れる最大の要因だと思います。
(2)自分の実力以上に期待してしまう
特に頭の回転が速いわけでもないのに、
「何も気の利いたコメントが言えなかった」
とか、特に優しくもないのに
「もっと優しい対応をすればよかった」
とか、実力以上にのことを「しなければいけなかった」と思い、
それができなかったことをクヨクヨと後悔するんです。
(3)ありのままの自分を認められない
気も利かないし優しくもないのが本当の自分。
人と会うとテンパっていらんことを言ったり、妙に馴れ馴れしいあけすけキャラになったり。
かと思えば「すみません」を連発する気弱な人になったり。
どれも正当化できないけど、全部ひっくるめて「これが自分なんだから、しょうがない」と認められたらどんなに楽だろう、と思います。
が、開き直りすらできない。
なぜ他人の目を気にしてしまうのかというと、原因はおそらく
(4)自己肯定感が低い
別に、親に全てを否定されて育った、とかではありません。
ただ、調子に乗ってはしゃぐとたしなめられました。
元々気が弱かった私は、それを真に受け「ちょっとうまくいったからって調子に乗ってはいけないんだ」と感じました。
つまり、うぬぼれて気が大きくなってはいけない、と。
そして、「自分は別に何も大したことない」と思うことで自分が調子に乗るのを抑制するようになりました。
それに臆病で、失敗や恥を恐れていました。
なので、常に予防線を張る癖がつきました。
「自分はこれができる」ではなく、
「自分はこれはできないかもしれない」と考える。
そうすると、期待値が低いため成功したらもうけものだし、
失敗してもショックは少なくて済むように思えたのです。
自己肯定感が低いということは、自分で自分を評価できないということです。
何かにチャレンジして成功しても「まぐれだ。たまたまうまくいったからって調子に乗るなよ」。
失敗したら「ほら、やっぱりあんたはその程度だよ」。
と自分に言い聞かせる。
それを積み重ねるうちに、自分のがんばりやいいところを評価できなくなっていました。
そうなると、評価をつけてくれるのは他人。
他人に評価をまかせる。
これがとても危険なのです。
だって、他人の思考というのは人それぞれだし、何の責任も伴いません。
相手が感じた私への評価(ここでは、相手のリアクションから、「私のことをどう思ったか」を自分で推測した内容)が、
私自身の「価値」となってしまうのです。
普通、多少なりとも自分で自分を評価している部分があるから、たとえ他人から低く評価されようとも、自分を支えられるのではないでしょうか。
でも私の場合、その支えがないのです。
だからこんなにも、他人からの評価が気になり、それによって一喜一憂し、精神の激しい浮き沈みを引き起こすのです。
ちなみに、一番疲れるのは、親しくないけど関係ある人です。
子どもが同じクラスのお母さん、とか。
そこまで親しくないから性格が読めない→どう評価されているのか不安
行事や係などで顔を合わせる機会がある→もう会わないからどう思われてもいい、にはできない
逆に比較的楽なのは、私の短所を「この人はこういう人だから」と受け入れてくれる友人です。
「この子なら悪く思わないでくれる」という安心感があって少し気が楽です。
それでもやっぱり、よく思われたい→気になる は多少ありますが。
・・・というのが、自己分析です。
自己愛はあるけど自己評価は低い。
こんな自分をそのまま受け入れられるようになったら、もう少し生きやすいだろうな・・・
もう40代なんだけどね・・・
中二病のようなブログでした。