前回の続きです
スピリチュアルな目覚めが促され、また特に感受性の強い方の社会との関わり方について思うところをメモしています
スピリチュアル的に目覚めが促進されてくると、価値観が大きくシフトする、少し『達観』したような感覚になるかもしれません。
視座が上がり、自分も含めたキャラクターを上から見るような体験をした人もいるかもしれないですね
ずっとその視点を保てたらいいのでしょうが、社会や人と関わる以上、厳しい局面の『当事者』になることは、ままあります。
前回の内容で触れた『タフネス』さは、まさにそんなシチュエーションに直面した時に発揮できるようにしたいものです
相手に自分と同じ感性や感覚を求めるのは賢明とは言えないと思います。
いかに自分の中でしっかりと線引きができるか。
エネルギーヴァンパイアのような属性の人達はこのような場面で特に力を(マイナスのね)発揮しますからのまれないようにしましょう
向かい合う相手とわたしたちとでは、入ってくる情報の量や質、そして偏り方が全く違うのです
そこは自分を信じて、時には毅然とした態度で臨むことも必要な場面もあるでしょう。そこは勇気を出すところです
それはまさに試練さながらですが、必ずしも今置かれている状況(家庭環境、お仕事、学校など)の中で解決する必要があるかといえばそんなことはないというのが個人的な見方です
魂の成長は苦痛や我慢と必ずセットなのかというとそういうわけではないからです。
時にはその場を離れる決断をすることが、魂の成長やココロのクセに向き合うことに繋がるキッカケになることもあると思います
(『決める』ということ自体に大きな意味があるケース)
ここら辺の段階で起きてくるイベントや外部環境の変化は、まさに人それぞれ、オリジナリティが色濃く出る部分なのかもしれません
しかしながら、一つ大きく感じることがあります。
社会的弱者になりやすい
スピリチュアル的に色々なことがわかっており、ココロがピュアで、思い遣りがあり、優しく愛がある方ほどついつい三次元的なところまで周囲に明け渡してしまい、社会や経済との折り合いをつけるのが難しいケースも多いように感じます。
霊的な成長を強く望んで生まれてきた魂は、やはり人生経験も豊富で、イジメ、離婚、死への直面、職場関係、人間関係などで(表層的には)苦労しているように見える方が多いです。
だから、余計そういう状況になりやすいというか、その過程で絶望感を味わうこともあると思います
そんな人たちの表面的なところだけかいつまんで、
あいつは努力が足りない
空気が読めない、人付き合いが下手だ
常識外れだ
いちいち過剰反応するし
弱い人間だ
なんて思われたり言われたりすることもあると思いますが、そんな時は華麗に無視しましょう
よく考えると、『逆』なんです。
みんなが分からないような(発想することもないような)さまざまな情報が分かり、エネルギーを肌で感じ、莫大な情報に触れながら生きていくということが、
どんなにタフネスさが必要とされることか
この記事に少しでも共感頂ける方は潜在的にはタフネスさをお持ちの方です。
例え自分は弱いと感じていて、どう生きていっていいか分からず、毎日泣いていたとしても
周囲よりも様々なことがわかる分、他人や社会と関わることが複雑になるのですから、それは生きづらく感じるのは当然のことです。
だけど、それすらも承知して生まれてきているのだとしたら。。。
(潜在意識には残ってないと思いますが)その道を選択するだけのタフネスさを予め持っている勇敢な魂と言えるのではないでしょうか
それでも敏感なことは悪いことなのかと思われるかもしれませんが、
むしろ、『ギフト』
だと思います
たしかにこの感覚を乗りこなすのは難しいですが、わたしたちにしかわからないことがある、ということも事実です
とはいえ、一般社会においては未だ理解が進んでおらず、人やルールに縛られた組織などに身を置くと苦しいと感じる人は多いと思います
そこで、自営の道を模索したり、その他新しい生き方を探す旅が始まる方もいるかもしれませんね
いずれにしても、本来の自分の感覚とあまりズレないような生き方ができるのが一番良いかと思います。
少しずつ、自分の性質を思い出していき、より幸福な社会生活を送れるようにしたいものです
もう少しだけ続きます。