以前、ブログに載せようと思っていたこと。
ある朝の通勤途中に、翼が雨に濡れたカラスが一羽
道端にとまっていた。
普通なら、車が近くを通りかかると
飛び立つカラスも、
さすがに濡れた翼が重かったのか
思うように飛び立てず
あわや車のフロントにぶつかるところだった。
そんなカラスを見て
いつもの私なら、危ないなぁ!
と、ブツブツ言っているだろうが
今日は、そんなことよりも
「なんて滑稽な姿なんだろう…」
というフレーズを思わず口ずさんでいた。
滑稽とは。
おどけていて、おもしろくおかしいこと。
また、ばかばかしくておかしいこと。
私が思うのは、
ばかばかしくておかしいということだ。
本来ならば、何にも邪魔をされず
飛び立てるカラスが、
雨のせいで濡れ、思うように力を出せずに
本来ならぶつかるはずもない車に
危うく、ぶつかりそうになるなんて。
そんなカラスが私には、
私や、私の周りにいる人、仕事と重なったのだ。
教育も同じ。
教育に携わる仕事をしていると
いろいろと見たくないこと、聞きたくないこと
そんなことが自然と流れてくる。
そんな流れてきたモノが
どんどん、どんどん溜まり
少しずつ、少しずつ溢れていくと
集めても、集めても
すくいきれなくて、
周りにどんどん、どんどん浸透してしまう。
そうすると、
尊敬できる、かっこいいと思える人でも
そんな影すらなくなってしまい
後輩からも、まったく見向きもされない存在になってしまう。
「なんて滑稽なんだろう」
若い子たちもそう。
ホントは、もっと発言もプレゼンテーションもできるのに
そのチャンスを、
できるはずがない。と与えてもらえず
行動する機会を奪われ
1年、そしてまた1年と時間ばかりが過ぎ
いざやらなければならない時に
自信が持てず、できなくて
そんな姿を、若い子たちの前にさらさなくてはならず…
そしてまた「尊敬」されるチャンスを失っていく。
一体、誰の責任なのか。
自ら考え、自ら行動できる人材というのは
もちろん、自分自身の行動力も必要だが
その行動には
少なからず、上司のチャレンジさせる行動も必要なのだ。
もちろん、失敗もする。
間違えることは当たり前。
そうやって人は成長するのだからと
言ってきた上司は山ほどいるのではないか?
逆に聞きたい。
チャレンジをさせてきたのか?
失敗や、間違いを、
後のことは心配しないでチャレンジしてみろ!と言ってきたか?
教育に携わるというのは
その人のその後に大きく影響する立場であること。
それだけの覚悟をもって
やっている仕事に、
「余計な仕事」なんてないんだ。
一生懸命に学ぼうと努力をしている社員の
羽を濡らしてほしくないんだ。
だから思う。
「なんて滑稽なんだろう」。
本来ならば、もっと力を発揮できる子達が
己の地位や、名誉しか考えていない上司たちに
その力を発揮する場すら与えてもらえないなんて
なんてばかばかしくておかしなことなんだ、と。